伏線ではなく“予感”を張り巡らせていく、スケッチ風素描
監督が山下敦弘で脚本が渡辺あやで音楽がレイ・ハラカミ。ジャスト僕好みの映画であったにも関わらず、なぜか劇場公開時には見逃してしまっていて、ホテルの小さなテレビで『天然コケッコー』(2007年)を観たのが初見だった。
だがこれが大失敗。画面が小さいものだから山下敦弘が仕掛けた映画的愉悦に浸ることができず、単に物語の筋ばかりおいかけてしまったんである。
この映画は大きなスクリーンを前に五感を解放して観るべき作品だ。何かが始まる予感を、何かが生まれる幸せを、ゆっくりと噛み締めるべき作品だ。
『ジョゼと虎と魚たち』(2003年)や『メゾン・ド・ヒミコ』(2005年)といった過去作では、暖かな情景のなかに冷徹な視線を忍ばせて、はっとするような言葉を紡いできた脚本家・渡辺あや。
しかし『天然コケッコー』では、ドラマに起伏が生まれることを意図的に抑制し、伏線ではなく“予感”を張り巡らせていく。
そよの父親と大沢くんの母親との不倫疑惑が発覚するものの、家族の不和といった問題に結びつくことはない。そよの友達のあっちゃんは、漫画家志望で大沢くんに憧れていることが暗示されるものの、それがドラマに有機的に絡むことはない。
郵便局のシゲちゃんのそよに対する恋慕(完全にロリコン!)が、若い二人の恋路に影響を与えることもない。三谷幸喜作品ならば終盤にかけて機能するであろう様々なファクターが、伏線ではなく単なる事象として配置されるのだ。
それはまるで本編の舞台であるS県香取郡木村稲垣(どーでもいいが何で全部SMAPメンバーの名前なんだ?)のある時期だけを切り取ったかのような、スケッチ風素描とでもいうべきタッチ。
映画が終わったあともドラマは静かに進行していて、その何年後かに「そよの父親は大沢くんの母親と駆け落ちするかも」とか「あっちゃんがそよに『私も大沢くんが好きだったの』と告白するかも」とか、いろんな“予感”を観客に期待させる作りなんである。
2時間で完結する物語を指向しない映画だけに、映像はそれを補完するだけの強度と豊穣さが求められるが、これが実にパノラマティック。耳を澄まして山のゴウゴウを感じながら子供たちが横切って行くシーン、そよの上空を東京タワーや国会議事堂がゆるやかに飛んで行くシーンなど、その枚挙に暇なし。
最後の最後で、そよが黒板にキスをするシーンだけは、ちょっと少女漫画的アプローチに寄り過ぎていて、全体の流れからいうと浮いてしまっているような気もしないではないが。
ちなみに個人的に一番好きなシーンは、居間でボーっとマラソン中継を観ている場面。42.195キロを走るという、ミニマルな行為をただ眺めるなんてさらにミニマルな訳で、『天然コケッコー』を端的に象徴するシーンだと思います。
- 製作年/2007年
- 製作国/日本
- 上映時間/121分
- 監督/山下敦弘
- 製作/小川真司、根岸洋之
- 脚本/渡辺あや
- 原作/くらもちふさこ
- 撮影/近藤龍人
- 美術/金勝浩一
- 音楽/レイ・ハラカミ
- 衣装/小林身和子
- 照明/藤井勇
- 録音/小川武
- 夏帆
- 岡田将生
- 柳英里沙
- 藤村聖子
- 森下翔梧
- 本間るい
- 宮澤砂耶
- 廣末哲万
- 大内まり
- 夏川結衣
- 佐藤浩市
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