『死刑台のエレベーター』(1957年/ルイ・マル)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『死刑台のエレベーター』(原題:Ascenseur pour l’échafaud/1958年)は、弱冠25歳の天才ルイ・マルが監督を務め、フランス映画界に革命を起こしたサスペンス・ノワールの金字塔。不倫相手と共謀した社長殺害という完全犯罪が、エレベーターの停止という些細な偶然から崩壊していく様を冷徹に描き出す。マイルス・デイヴィスによる伝説的な即興ジャズの旋律と、夜の街を当てもなく歩くジャンヌ・モローの虚ろな美しさが完璧に融合。従来の劇伴の概念を覆し、後に世界を席巻するヌーヴェルヴァーグの到来を鮮烈に予感させたエポックメイキングな一作である。
ジャンヌ・モローの夜の彷徨とマイルス・デイヴィス
受話器越しの極端なクローズアップ。「ジュ・テーム」という愛の囁きを語りかけるジャンヌ・モローのバスト・ショットで、『死刑台のエレベーター』(1958年)は幕を開ける。
この映画は、完全犯罪の失敗が崩壊するサスペンス映画の外装を纏っている。だがその内部で稼働しているのは、愛の底知れぬ愚かさと、人間の孤独を容赦なくえぐり出す、残酷なメカニズムだ。
愛の言葉で始まり、そしてまた愛の言葉で閉じられる物語。一見すれば燃え上がるようなロマンスを、ルイ・マル監督はむしろ愛こそが二人を徹底的に孤立させ、破滅へと追いやっていく物語へと創り上げた。
『死刑台のエレベーター』を永遠の伝説たらしめているのは、ジャンヌ・モローが夜のパリの街を当てもなく彷徨う、圧倒的なまでに美しいシークエンスだ。
ここで鳴り響くのは、モダン・ジャズの帝王マイルス・デイヴィスによる即興演奏。都会の冷たい闇を切り裂くミュート・トランペットの音色が、彼女の歩調と呼吸に完全に同期し、彼女が抱える孤独を音楽としてスクリーンに可視化してしまう。
言葉なんて一切必要ない。ただひたすらに歩く姿と、煙るような音のうねりだけが、この映画全体を極上の都会のブルースとして響かせている。
マイルスのジャズは、単なるムードを高めるための伴奏BGMではない。モローの生々しい肉体と激しく共鳴し、彼女を愛と孤独の絶対的な象徴へと昇華させるための最強の共犯者だ。
弱冠25歳の若きルイ・マルが生み出したこの圧倒的な映像体験は、サスペンスというジャンルを軽々と飛び越え、人間の存在そのものの脆さを暴き出しているのだ。
ノワール的運命とヌーヴェルヴァーグの足音
物語の骨格は極めてシンプルかつ残酷だ。モーリス・ロネ演じるジュリアンが社長夫人のフロランス(ジャンヌ・モロー)と結託し、社長の完全犯罪を企てる。
だがエレベーターに閉じ込められるというたった一つの偶然の綻びが、次々と最悪の事態を呼び寄せ、完璧だった計画はあっけなく崩壊していく。あげくの果てには、彼が車を盗まれた若者カップルが引き起こした無関係な殺人事件の容疑者にまでされてしまうのだ。
自分がその時刻にエレベーターに閉じ込められていたという完璧なアリバイを、彼は絶対に証明することができない。なぜなら、愛する女のために自らの手を下した真の殺人を隠し通さねばならないから。この八方塞がりの四面楚歌状態こそが、フィルム・ノワールの伝統的な宿命論を完璧に踏襲している。
だがルイ・マルは、運命の悪戯に翻弄される人間像を、アメリカ製ノワールのような単なる不運な必然としては描かなかった。彼はそれを「愛の愚かしさが自ら呼び寄せた必然」として、シニカルに描く。愛とは二人を破滅へと真っ直ぐに導く、冷酷な時限爆弾なのだ。
冷ややかなモノクローム映像に貫かれた画面は、どこまでもシャープでスタイリッシュだ。自然光や街のネオンを活かすため高感度フィルムを駆使して撮られたジャンヌ・モローの顔。それは、当時のフランス映画界にはびこっていたグラマラスで人工的な女優像とは全く異なる。
知的で、深く翳りを帯びたその気高い佇まいは、以後のフランス映画を席巻することになる「ヌーヴェルヴァーグ的ヒロイン像」の誕生を、完璧に先取りしていた。
本作が公開された1958年は、フランス映画史にとって決定的な転換点だった。翌1959年にはジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』や、フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』が公開され、世界中でヌーヴェルヴァーグの嵐が吹き荒れることになる。
『死刑台のエレベーター』は、厳密な意味ではその狂騒の中心に位置づけられる作品ではないかもしれない。だが、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーやルネ・クレマンといった巨匠たちが業界を支配していた時代に、ロケ撮影や即興音楽を織り込んだ野心的な試みには、ヌーヴェルヴァーグの強烈な萌芽がある。
ルイ・マルは彼らの仲間というよりも隣接者として、映画がもっと自由で即興的な芸術になり得ることを高らかに宣言し、時代の転換を告げる役割を果たしたのである。
愛という欲望が生み出した、孤独と運命の鎖
映画のラスト、現像された写真のネガが決定的な犯行の証拠として液の中に浮かび上がる。そこには、まだ血にも罪にも染まっていなかった頃の仲睦まじい二人の姿が刻印されている。だが、それはすでに永遠に失われた色褪せた過去だ。
私は眠り、目を覚ます…一人で…。でも愛してた、あなただけを
クローズアップされたモローが悲痛な声で告白する。そこに刻まれているのは愛の純粋さなどではない。愛という欲望が生み出した、孤独と運命の鎖である。
『死刑台のエレベーター』は、ルイ・マルという早熟の天才が、犯罪映画のフォーマットを借りて人間の深淵をえぐり出したモダンな悲劇の極致だ。
そして同時にそれは、フランス映画が新たな黄金時代へと突入していく、夜明け前の最も美しく残酷な鐘の音だったのである。
- 死刑台のエレベーター(1957年/フランス)
- 鬼火(1963年/フランス)
- ルシアンの青春(1973年/フランス、イタリア、西ドイツ)
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