『ピースメーカー』(1997年/ミミ・レダー)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『ピースメーカー』(原題:The Peacemaker/1997年)は、ドリームワークスが記念すべき第一回作品として世に送り出した、リアリティ重視のサスペンス・アクション。物語は、ロシアで発生した核弾頭強奪事件から幕を開ける。盗まれた核兵器の行方を追い、アメリカ陸軍のデヴォー中佐(ジョージ・クルーニー)と核の専門家ケリー博士(ニコール・キッドマン)が、ヨーロッパからニューヨークへと駆け抜ける。ミミ・レダー監督は、緻密なリサーチに基づき、冷戦後の混乱した国際情勢やテロリズムの脅威を緊張感たっぷりに描き出した。
ドリームワークスSKGの初陣
スティーヴン・スピルバーグ、ジェフリー・カッツェンバーグ、デヴィッド・ゲフィン。ハリウッドを牛耳る三人の巨頭が結集し、1994年に鳴り物入りで設立された巨大スタジオが、ドリームワークスSKGだ。
そして、彼らが世界に向けてその圧倒的な威信を示すため、記念すべき劇場用長編映画の第1弾として放ったのが『ピースメーカー』(1997年)である。
この作品を、90年代に量産されたハリウッド・アクション映画のひとつとして片付けてしまうのはもったいない。ここには、当時のアメリカが抱えていた地政学的な不安と、エンターテインメント産業の野心がドロドロに混ざり合った、極めて興味深い時代の刻印が残されているからだ。
90年代後半という時代は、長きにわたった東西冷戦が終結し、アメリカがハリウッド映画における「わかりやすい強大な敵」を必死になって探していた時期にあたる。
ソビエト連邦という巨大な帝国が崩壊し、核兵器の管理体制がずさんになったという現実の恐怖。本作がメインテーマに選んだ「ロシアの解体作業中から盗み出された核弾頭」というプロットは、当時の観客にとってフィクションの枠を超えた生々しい脅威の象徴だった。
この記念すべきプロジェクトの監督に抜擢されたのが、大ヒット医療ドラマ『ER 緊急救命室』のメイン・ディレクターとしてエミー賞を獲得していたミミ・レダーである。
彼女は、救命救急の現場で磨き上げたあの超高速のカット割りと、一瞬たりとも止まることのない手持ちカメラの躍動感を、そのまま巨大な映画のスクリーンへと持ち込んだ。観客に立ち止まって考える暇を一切与えず、ただひたすらに事態の切迫感だけで2時間を駆け抜けさせる。
この映画の本質は、アメリカの正義を高らかに謳い上げる物語というよりも、アメリカが世界の警察官であり続けるための正当性をアピールする、高度に洗練された巨大な神話装置なのだ。
巨大なプロモーションビデオとしての軍事リアリズム
この映画の圧倒的な迫力を支えているのは、何と言っても画面を埋め尽くす本物の軍用ヘリコプターや輸送機、そしてリアルな特殊部隊の描写だ。しかし、そのド派手な制作の舞台裏を少し覗いてみると、そこにはペンタゴンの全面的な協力という大きな影がくっきりと見え隠れする。
実はこの映画、製作の早い段階で軍の厳しい監修が入っている。そのプロセスにおいて、アメリカの軍人が無能に見えたり、倫理的に致命的な欠陥があるように描かれたりする描写は徹底的に排除されたのだという。
そして、その「お行儀の良い脚本」の見返りとしてスタジオ側に提供されたのが、莫大な予算を使っても個人では絶対に借りられない本物の軍用機材による圧倒的な視覚効果だ。つまり穿った見方をすれば、この映画自体が、極めて洗練された米軍のプロモーションビデオとしての側面を強く孕んでいることになる。
ジョージ・クルーニー演じる米軍の特殊部隊将校デヴォー大佐は、テロリストから核弾頭を取り戻すという至上命令のためなら、他国の主権だろうが国際法だろうが、あらゆる倫理を躊躇なく踏みにじって突き進む。
彼の持つ過剰なまでの自信と、ニコール・キッドマン演じるホワイトハウスの核兵器専門家・ケリー博士の真っ当な理性を力技で蹂躙していく強引さ。これこそが、絶対的な敵を失い、自らの巨大な力の使い道を持て余していた90年代のアメリカの矛盾そのものだ。
レダー監督は、テレビドラマで人命救助の現場を撮っていたのと同じフラットな手つきで、国境を越えた破壊と暴力の現場を撮りきってしまった。
そこにあるのは、世界の秩序維持という大義名分でコーティングされた、美しくも残酷な暴力のリズムだ。
『24』を予見したスピード感と、ジョージ・クルーニーの変貌
物語は本当に息つく間もなく展開していく。ロシアのウラル山脈での列車衝突事故に見せかけた核弾頭の強奪から始まり、ウィーンでの情報収集、ロシア南部での激しい追跡劇、そして最終的なニューヨークでの息詰まるテロ阻止まで、プロットは絶えず次の爆発と危機へと観客を休ませることなく駆り立てる。
この「2時間という制約の中で、ひたすら切迫とタイムリミットを連呼する」という焦燥感に満ちた構造こそ、後に世界中を寝不足にさせる大ヒットドラマ『24 -TWENTY FOUR-』(2001年)の明確な原型と言っていい。
ミミ・レダーは画面の中の情報の密度を極限まで高め、複数の場所で同時に進行する事態をクロスカッティングの手法で目まぐるしく繋ぎ合わせていく。これによって観客の感情をある種の麻痺状態に追い込み、暴力と速度を完全な等式として描き出してしまった。
そして、この映画を語る上で特筆すべきは、当時『ER 緊急救命室』のダグ・ロス小児科医役で人気絶頂だったジョージ・クルーニーの抜擢だ。実は企画の初期段階では、このデヴォー大佐役にはシルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーのような、80年代を引きずったアクションスターたちが検討されていたらしい。
しかし、製作総指揮のスピルバーグは、クルーニーがテレビで見せる「首を少し傾けて相手を理詰めで説得する知的な色気」を気に入り、新時代のアクション・スタア像を彼に託したのだ。
クルーニーはこの期待に見事に応え、現場で危険なスタントの多くを自らこなし、軍人としての冷徹なプロフェッショナリズムを自らの肉体に深く刻み込んだ。
中盤、ブラチスラバの石畳の街をベンツで爆走し、車体を文字通り盾にしながらアサルトライフルで銃撃戦を繰り広げるシーンの臨場感は今見ても震えるほど素晴らしい。
あのスピード感こそが、ハリウッドのアクション映画を単なる「筋肉の見本市」から、より実践的でスマートな「機能の美」へと変容させた歴史的な瞬間だったのだ。
しかし同時に、その迅速すぎる決断の連続は、キッドマン演じるケリー博士の倫理的な思考を完全に置き去りにしていく。そこにあるのは、立ち止まって考えることを奪われた正義の暴走。
カットの連鎖は心地よいリズムを生むが、それは我々を行動の連続という檻に閉じ込める。これこそが、ハリウッドが発明した麻薬的なスピード感の恐るべき正体である。
ユーゴスラビア紛争の爪痕と、テロリストの底知れぬ悲哀
ドリームワークスがこの作品をスタジオの歴史的な第1弾に選んだという事実は、今振り返ると極めて象徴的だ。
スピルバーグが持つ人間主義的なドラマと、カッツェンバーグが求める巨大な産業的スケールを強引に結びつけようとした結果、『ピースメーカー』は商業的理念と芸術的理想のちょうど中間で、激しく引き裂かれることになった。
その歪みが最も色濃く表れているのが、物語の最終的な悪役となるテロリスト、デュサン・ガヴリッチ(マルセル・ユーレス)の描写。彼は決してアメコミに出てくるような、世界征服を企む狂った悪党ではない。
泥沼化したユーゴスラビア紛争の中で、故郷サラエボの凄惨な戦火によって愛する妻と娘を理不尽に失い、深い絶望の中でショパンのノクターンを哀しく奏でる悲劇の男として痛ましく描かれている。彼が核爆弾を背負ってニューヨークに向かう動機は、イデオロギーではなく、西側諸国の無関心に対する強烈な怒りと個人的な復讐だ。
レダー監督はこのテロリストの背景に、当時のバルカン半島が抱えていた複雑な悲劇と映画的な情念をしっかりと込めようと試みている。だが、ハリウッドの巨大な産業的論理は、その湿っぽい複雑な感情を、娯楽としての爆発の火柱で容赦なく焼き尽くしていく。
ニューヨークの教会を舞台にした緊迫のクライマックス。核爆弾の起爆コードを解除するという極限状態において、ガヴリッチという一人の人間が抱えたあまりにも深い痛みは、「アメリカ国家の安堵と正義」という巨大な大義の前に、徹底的に、そして無慈悲にパージされてしまうのだ。
皮肉なことに、世界を核の恐怖から救うこの華々しい物語で船出したドリームワークスは、その後数々の名作を生み出しながらも多額の負債を抱え、最終的にはパラマウントに吸収されるという数奇な運命を辿ることになる。
この映画が本当に予見していたのは、冷戦後の新しいテロリストの脅威などではなかったのかもしれない。それは、崇高な理想を信じて集まったクリエイターたちが、やがて巨大な資本と暴力的な市場の論理に否応なく飲み込まれていくという、ハリウッドの冷酷な現実そのものだったのだ。
- 監督/ミミ・レダー
- 脚本/マイケル・シファー
- 製作/ウォルター・F・パークス、ブランコ・ラスティグ
- 撮影/ディートリッヒ・ローマン
- 音楽/ハンス・ジマー
- 編集/デヴィッド・ローゼンブルーム
- 美術/レスリー・ディリー
- ピースメーカー(1997年/アメリカ)
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