2026/3/15

『姑獲鳥の夏』(2005)徹底解説|“あやかし”を解体する、あまりにも困難な冒険

『姑獲鳥の夏』(2005年/実相寺昭雄)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー

10段階評価
5 OKAY
概要

『姑獲鳥の夏』(2005年)は、京極夏彦のベストセラー「百鬼夜行シリーズ」を、鬼才・実相寺昭雄監督が映像化したミステリー映画。舞台は昭和27年の東京。「20ヶ月もの間、身ごもったままの妊婦」という怪奇な噂の真相を追うべく、古本屋にして陰陽師の中禅寺秋彦(堤真一)が、作家の関口巽(永瀬正敏)、探偵の榎木津礼二郎(阿部寛)らと共に、論理と呪術によって「憑物(つきもの)」を落としていく。実相寺監督特有の、奇抜なカメラアングルや色彩感覚が光る独特の映像美が最大の特徴。豪華キャストの共演と圧倒的な世界観がカルト的人気を博し、後に続くシリーズ実写化の礎を築いた。

目次

昭和モダンと“あやかし”の系譜

『姑獲鳥の夏』(2005年)で中禅寺敦子を演じた田中麗奈ちゃん、カワイかったなあ。

戦後間もない昭和27年という舞台設定のなか、可愛いキャスケット帽にチェックのパンツ(裾を太めにロールアップしているのがまたイイ!)、そしてサスペンダーというボーイッシュな出で立ちが、僕のフェティッシュなツボをこれでもかと刺激しまくったのでありました。

おしまい。

……と、これで終わってしまったら、読者に怒られてしまうので、気を取り直してもう少し『姑獲鳥の夏』の核心と、その異常な映像世界についてフルスロットルで書いていこう。

市川崑監督による『犬神家の一族』(1976年)をはじめとする「金田一耕助シリーズ」が、おどろおどろしい土俗ミステリーにとどまらず、極めてモダンでコンテンポラリーなビジュアル・ワークとして、岩井俊二や庵野秀明といったトップクリエイターたちに絶大な影響を与えていることは、周知の事実である。

犬神家の一族
市川崑

江戸川乱歩がそうだったように、横溝正史もまた昭和初期という闇の時代を背景にして、美しくも妖しい“あやかし”のエッセンスをミステリーに注ぎ込んだ。

そのテキストに潜む“あやかし”を、生粋のビジュアリストである市川崑は、計算し尽くされたタイポグラフィや、光と影の鋭いコントラストを用いた流麗な映像としてフィルムに転写し、大成功を収めたのである。

京極夏彦のデビュー作にして「百鬼夜行シリーズ」の第一弾『姑獲鳥の夏』は、明らかに江戸川乱歩、横溝正史の系譜を継ぐ“あやかし”に満ちた猟奇ミステリー作品である。

姑獲鳥の夏
京極夏彦

しかし、この作品において最も注意すべきは、その“あやかし”を脳科学や認知科学、量子力学といった極めてロジカルなメスによって徹底的に解体しているという点なのだ。

映像と衒学趣味の格闘

映画の冒頭、古本屋「京極堂」の主人にして陰陽師である中禅寺秋彦(堤真一)と、鬱病の小説家・関口巽(永瀬正敏)との、薄暗い店内での長大な対話シーンから、神秘の扉は開かれる。

『ウルトラマン』時代から脈々と受け継がれてきた、実相寺昭雄監督らしい極端なバイアスのかかった舐め構図や、パースがグニャリと歪んだ超広角レンズによる変態的アングル。そして、黒づくめの着物をまとった京極堂は静かにこう語る。

「この世に不思議なことなど何もないのだよ、関口君」

陰陽道、憑き物、妖怪、祈祷、密室から消えた赤ん坊、そして20ヶ月もの間妊娠し続ける女。物語は隅から隅まで、怪奇的コードに彩られている。

だが、京極堂の口からとめどなく溢れ出す民俗学、宗教史、心理学、そしてサイエンスの膨大な知識によって、漆黒の闇は容赦なく白日のものにさらされ、論理的に解体されていくのだ。

この原作小説が長年「映画化不可能」という紋切り型の宣伝文句で語られていたことは、実際に完成したこの映画を観ると、僕には何となく分かるような気がする。

問題は、京極夏彦特有の辞書のように分厚い、博覧強記な情報量の多さにあるのではない。“あやかし”を濃厚に描きつつ、それを言葉(ロジック)の力だけで解体するという特殊な作業が、視覚と感情に直接訴えかけてくる映像メディア=映画)においては、とてつもなく困難なミッションに思えたからだ。

たとえそれが、日本映像界が誇るアバンギャルドの奇才・実相寺昭雄の手にかかったとしても、である。

カタルシスなき“憑き物落とし”

京極堂が膨大な知識を総動員して行う“あやかし”を解体する作業とは、本編ではまさに事件の謎を解く「憑き物落とし」の儀式として描かれるる。

ところが、その“あやかし”をスクリーン上で論理的に発動・解体させるための圧倒的なペダンチズムが、2時間強という映画の尺の中ではどうしても消化しきれていない。

活字であれば読者が自らのペースで咀嚼できる論理の構築も、映画のテンポで一気に語られてしまうと、単なる説明過多なダイアジェストに聞こえてしまう。

ゆえに、映画のクライマックスである理路整然とした謎の解明シーン(久遠寺医院での対決)において、本来ミステリー映画が提供するはずのカタルシスや知的興奮がいまひとつ感じられないのだ。

パズルのピースが完璧にハマって腑に落ちるというよりは、あまりにも唐突でエキセントリックな展開とビジュアルの連続に、ただただ目を見張ってしまうのである。

これは実相寺監督の演出の敗北というよりも、京極ミステリーと映画というメディアの、埋めがたい相性の悪さが生み出した事故のようなものではないか。

もちろん、映画としての魅力が全くないわけではない。昭和の退廃的な空気感や、久遠寺涼子/梗子を一人二役で演じた原田知世の儚げな美しさは、映像作品としての強度をしっかりと保っている。

場面転換の際に、古めかしい地球儀のフィックス・ショットと月齢(月の満ち欠け)をテロップで併記して時間を進めていくセンスは、いかにも実相寺らしくてサイコーだ。

だが、やっぱり実相寺センセイには、変に理屈に落ちた作品を撮っていただくよりも、江戸川乱歩原作の『屋根裏の散歩者』(1992年)とか『D坂の殺人事件』(1998年)のような、論理を超越した狂気と、ドロドロの背徳的なエロティシズムを扱うテーマを振った方が、大暴れできるんではないか?

フェティッシュな映像美は、理屈よりも欲望と結びついた時にこそ最大の威力を発揮するのだから。

屋根裏の散歩者
実相寺昭雄

なお、そんな実相寺昭雄が、河崎実監督の愛すべきバカ映画『いかレスラー』(2004年)で、監修という謎の立場でクレジットされていることに関しては、今に至るまで僕の中で全くの謎である。

もしかすると、あのイカの着ぐるみの中にも、彼にしか見えない究極の“あやかし”が潜んでいたのかもしれない。

作品情報
スタッフ
キャスト
実相寺昭雄 監督作品レビュー
百鬼夜行 シリーズ