インランド・エンパイア/デヴィッド・リンチ

インランド・エンパイア [Blu-ray]

排他的で厳然とした、デヴィッド・リンチの“パーソナル・ムービー”

そもそも『インランド・エンパイア』(2006年)には、映画のキモであるはずのシナリオが存在しない。

デヴィッド・リンチに神の啓示のごとくインスピレーションが舞い降りるたび、役者を呼んでデジタル・ビデオカメラを廻すという、かなりハタ迷惑な撮影スタイルがとられている。

公式パンフレットで音楽家・菊地成孔も述べているが、そんな作品に対して映画的深読みをするシネフィル行為は、何ら有効な手段には成り得ない。

デヴィッド・リンチが内包しているオブセッションを、スクリーンというフィルターを通して我々の角膜に投影せんとする、これは極めて横暴なアートの産物なのだ!

粒子の粗いデジタル・ビデオカメラの質感。被写界深度は狭く、登場人物はまるでゴーストのように奥から手前にせり出してくる。漆黒の闇を切り裂くフラッシュ、鳴り止まぬ不協和音。

物語はパラレルに、いやシュールレアリスティックに展開し、何よりも3時間という長尺な上映時間が、オーディエンスを確実に疲弊させ、憔悴させ、迷宮入りさせる。

「この作品を心の底から楽しみました」とのたまう輩を、小生は全くもって信用しない。上映時間中、観客は猿ぐつわをはめた格好で“不条”理と“混濁”を浴びせられ続けるのである。

角ばった特徴的な顎、すこし垂れた目尻の皺、強い意志を感じさせる鷲鼻。スクリーンいっぱいに現れるローラ・ダーンの極端なクローズアップが、我々の脳内でデヴィッド・リンチの顔とオーバーラップするのは何故か。っていうか、それって俺だけか。

齢40を過ぎ、掛け値なしに美人女優と呼ぶにはためらいを感じてしまうローラ・ダーンの起用は、おそらくインランド・エンパイアにおける、デヴィッド・リンチのアバター(自分の分身)である。

アバターとしてのローラ・ダーンは、三次元界のあらゆる位相に侵入し、そのたびに人格をスイッチ・チェンジさせながら、暴力、セックス、死、そして再生を体験していく。

リンチは「トラブルに陥った女の話」と本作を雑に形容しているが、我々観客にとっては“デヴィッド・リンチ自身の追体験”に他ならない。

長らくコンビを組んできたアンジェロ・バダラメンティと袂を分かち、この作品では音楽をリンチが担当しているのも、『インランド・エンパイア』が超私的作品であることの証左だろう。

ちなみに、リンチとバダラメンティは別に仲違いした訳ではなく、その証拠にサントラでは彼の名前がスペシャル・サンクスとしてクレジットされているのでご安心を!

Inland Empire
『インランド・エンパイア サウンドトラック』(アンジェロ・バダラメンティ)

ビデオソフトの自主配給権もリンチが独占しているとあって、この作品におけるパーソナル・ムービーぶりは際立っている。映画製作という集団作業を極限にまで個人作業にシフトし、内なる帝国=インランド・エンパイアを創り上げたデヴィッド・リンチ。

ここが彼のアートの極北なのだ。排他的で厳然とした、孤高の世界なのだ。残念ながら、僕はこの帝国には馴染めず締め出されてしまったようだが。

DATA
  • 原題/Inland Empire
  • 製作年/2006年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/180分
STAFF
  • 監督/デヴィッド・リンチ
  • 脚本/デヴィッド・リンチ
  • 製作/デヴィッド・リンチ、メアリー・スウィーニー
  • 音楽/デヴィッド・リンチ
  • 製作/フレッド・カルーソ
  • 撮影/オッド・イエル・サルテル
  • 編集/ジョナサン・レイ
CAST
  • ローラ・ダーン
  • ジェレミー・アイアンズ
  • ハリー・ディーン・スタントン
  • ジャスティン・セロー
  • カロリーナ・グルシュカ
  • スコット・コフィ
  • グレイス・ザブリスキー
  • ダイアン・ラッド
  • ジュリア・オーモンド
  • ナスターシャ・キンスキー
  • ローラ・ハリング
  • ウィリアム・H・メイシー
  • 裕木奈江

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