あらゆる価値観が崩壊した時代に産み落とされた、新世代の青春映画
今この稿を書いているのは2004年の7月だが、『リアリティ・バイツ』が製作されたのは1993年。当時はジェネレーションXとかニュームービーとか、「新世代の青春映画」として語られてきた作品がもう10年以上昔かと思うと感慨深い。
ウィノナ・ライダーのセリフに、自動車事故をおこして「訴えられると私は法廷に出る訳?」というのがあったが、万引き事件を起こして、本当に法廷に出るハメになるとは誰も思わなかったろう。
この頃のアメリカは不景気にあえいでいた。87年には俗に「ブラックマンデー」とよばれる株価の大暴落が起こり、翌年に大統領に就任したパパ・ブッシュは、各国の市場経済型経済支援や、政府借り入れの抑制などの政策を打ち出した。
しかし経済はしばらくすると停滞してしまい、不況の波が押し寄せる。あらゆる価値観が崩壊した時代に、この映画は産み落とされたのである。
ジェネレーションXという言葉は、日本で言うところの「新人類」に当たるんだろうが、不況真っ只中で将来の確固たるビジョンを持て得ず、彼らは現実の壁にぶち当たっていく。青春の蹉跌、これまさにリアリティ・バイツ(現実が噛み付く)。うーん、やっぱいいタイトルだ。
しかしよく考えたら、劇中でTV業界に干されてしまったたウィノナは、その後ラジオや新聞社などマスコミ関係を次々に面接するものの(しまいにはマクドナルドまで面接する)、結局どこも就職難で失敗してしまう訳だが、最後まで彼女の就職先が決まらずに映画が終わってしまうのだ。
これって、このテの映画では実に珍しいパターンだと思う。普通はこれから実生活で生きていくための方向性を、明確に観客に提示して「チャンチャン♪」となるのが普通なんだが。
結局、この映画では恋愛というレベルでしかウィノナは救済されない。そのあたりの感覚が時代性といってしまえば、それまでなんだが。
「社会に妥協して生きていくしかない」というMTVプロデューサー役のベン・スティラー(実は彼、この映画の監督も担当していたんですね。知りませんでした)と、社会に反抗してバンド活動に明け暮れるイーサン・ホークという対立構図は、いささか陳腐。
ジェネレーションXが現実に対応できずに右往左往するリアリティーは、そこにはない。結局『リアリティ・バイツ』はウィノナ・ライダーの驚嘆すべき可愛らしさと、当時話題になった、U2、ザ・インディアンズ、ザ・ナックといったバラエティーに富んだ楽曲群によって、何とか体をなしている映画だと思う。
- 原題/Reality Bites
- 製作年/1993年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/99分
- 監督/ベン・スティラー
- 製作/ダニー・デヴィート、マイケル・シャンバーグ
- 製作総指揮/ステイシー・シェール
- 脚本/ヘレン・チャイルドレス
- 撮影/エマニュエル・ルベスキ
- 音楽/カール・ウォリンガー
- 美術/シャロン・シーモア
- ウィノナ・ライダー
- イーサン・ホーク
- ジャニーヌ・ギャロファロ
- スティーヴ・ザーン
- ベン・スティラー
- スウォージー・カーツ
- ジョン・マホーニー
- スーザン・ノーフリート
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