『仁義』というタイトルを目にしてしまうと、我々日本人は深作欣二による『仁義なき戦い』シリーズを否応にも脳内再生してしまう。
菅原文太、梅宮辰夫、金子信雄、松方弘樹といったイカツイ面々による、汗臭くてむさ苦しくて広島弁丸出しの、オトコ汁全開ムービー。そこにはウェットな手触りがあった。
しかし、ヌーヴェルヴァーグの精神的父親とも称されるジャン・ピエール・メルヴィルの手にかかれば、そこに描かれるは禁欲的なまでにストイックなフィルム・ノワール。
アラン・ドロン、イブ・モンタン、フランソワ・ペリエといった端正なマスクの男たちが、鉛色の雲がたちこめる冬のパリ郊外を舞台に、裏社会における義の世界を体現する(色調を抑えたアンリ・ドカエによるカメラが素晴らしい)。
しかしながら、僕にはアラン・ドロンのチョビヒゲ顔が胡散臭いことこの上なく、ナルシスティックに淫したマジ芝居をすればするほど妙に笑けてしまう、という困った事態が発生してしまった。
おまけに監督のジャン・ピエール・メルヴィルは、リアルな緊張感を映画に導入しようとしたあまりにテンポを停滞させてしまっており、それ故にクライマックスへ流れ込むまでの物語の性急さがひっかかってしまう。
綿密に描かれた宝石強盗のシーンも、ひとつひとつのショットが平板すぎ、観客に長時間の鑑賞を強いるにはやや吸引力に欠ける。
そもそも原題は、映画の冒頭に出てくる「人はそれと知らずに必ずめぐり逢う。たとえ互いの身に何が起こり、どのような道をたどろうとも、必ずや赤い輪の中で結び合う」というブッダの言葉を引用した『Le Cercle Rouge(赤い輪)』。
それなのに、邦題にするにあたってなぜ『仁義』になってしまったのか、ワタクシ理解しかねます。
ムード醸成に腐心したあまりに、物語構築のバランスが妙に崩れてしまっているような気がする今日この頃。
- 原題/Le Cercle Rouge
- 製作年/1970年
- 製作国/フランス
- 上映時間/140分
- 監督/ジャン・ピエール・メルヴィル
- 脚本/ジャン・ピエール・メルヴィル
- 製作/ロベール・ドルフマン
- 撮影/アンリ・ドカエ
- 美術/テオ・ムーリッス
- 音楽/ミシェル・ルグラン
- 録音/ジャン・ネニー
- 編集/マリー・ソフィ・デュビュス
- アラン・ドロン
- イブ・モンタン
- フランソワ・ペリエ
- アンドレ・ブールヴィル
- ジャン・マリア・ヴォロンテ
- ポール・クローシェ
- ポール・アミオ
- アンドレ・エキヤン
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