空間を区切るではなく、時間を区切るという荒技をやってのけたシリーズ第三弾
クリスマスのL.A.を舞台にドンパチを繰り広げてきた『ダイ・ハード』シリーズだが、3作目では思いきって趣向を変えている。
パート1では高層ハイテクビル、パート2では空港ときたので次は豪華客船あたりかと思っていたのだが(実はスティーヴン・セガールの『沈黙の戦艦』にそのネタをとられたために、船が舞台という企画が流れたらしい)、何と真夏のニューヨークが舞台になってしまった。予想だにしなかった展開である。
『ダイ・ハード』が傑作足り得たのは、密室という限定された空間をうまく使った、緻密な構成にある。『ダイ・ハード2』もその基本プロットを踏襲していたが、『ダイ・ハード3』では空間を区切るではなく時間を区切るという荒技をやってのけた。
謎のテロリスト・サイモンの命令によりブルース・ウィリスはニューヨーク中を駆けずり回る訳だが、「~から~まで20分で行け」といったシチュエーションは限定された時間の中での戦い。時限爆弾という設定もそうだが、時間軸という新しいプロット導入によりシリーズは新たな展開をみせる。
そういう意味でもニューヨークを舞台にしているのは賢い計算だ。行ったことのある人なら分かるだろうが、ニューヨークという街は道が碁盤の目のようになっていて、1ブロックごとの大きさがだいたい決まっている。
だから「112町目から4町目まで行け」と言われれば大体何分位かかるか容易く計算できるのだ。時々サミュエル・L・ジャクソンが「時間内にたどり着ける訳がない」とわめいたりするが、空間と時間の関係が最も分かりやすいニューヨークを舞台にしているからこその発言である。
前二作以上にテンポは早い。いや、早すぎる。伏線を張った脚本が真骨頂のこのシリーズだが、とにかく息つく間もなく物語がどんどん展開するので、伏線が伏線として機能する前に観客はおいてきぼりをくらってしまう。
時々サイモンが出してくるナゾナゾの解答も一回観ただけではよく分からない。「3ガロン入る容器と5ガロン入る容器で4ガロンの水を量れ」なんていうやたら頭使うクイズなんかが挿入されるのだが、あまりにも難しすぎて最初観ただけでは全然分からん。
サミュエル・L・ジャクソン演じるゼウスというキャラクターにも疑問を感じる。コメディリリーフとして参加したのだろうが、ブルース・ウィリス一人でも充分その役は務まるだけに、ストーリー上の必然性を感じられない。
このシリーズの醍醐味は、ブルース・ウィリスが一人愚痴を吐きながら単身血まみれになってガンバルという、スポ根的な面白さによって成り立っているのだから。
凸凹コンビの掛け合いは確かに悪くはないが、ゼウスというキャラクターがいなければもう少しストーリーがスッキリすると思うのは僕だけかしら。
それに比べ、サイモンを演じるジェレミー・アイアンズはシリーズ中最高の悪役である。人を小馬鹿にしたようなドイツ訛りの語り口調がもうサイコーだ。
実はサイモンが×××の×××だったという設定(未見の方の為にここは伏せます)はいただけないが、「パート1」との関連性という意味では致し方ない所なのかも知れない。ただえらくアッケナイ最期を遂げるのには驚いた。もうちょっと頑張れよ、ジェレミー。
『ダイ・ハード3』はある意味では第一作より綿密に練られた脚本と言えるかも知れないが、複雑すぎて映画が破綻しているのが最大の弱点である。
密室から解放されニューヨークという街全体を舞台にしているというのに、ハンディカメラ主体の撮影で全体像が把握できないのもマイナスである。
だが少なくとも今までとは違う新しい試みにチャレンジしたことには大きな拍手を贈りたい。次はどんな手をうってくるのか楽しみだ。
- 原題/Die Hard : With A Vengeance
- 製作年/1995年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/128分
- 監督/ジョン・マクティアナン
- 製作/ジョン・マクティアナン、マイケル・タッドロス
- 製作総指揮/アンドリュー・ヴァイナ、バズ・フェイシャンズ、ロバート・ローレンス
- 脚本/ジョナサン・ヘンスレー
- 撮影/ピーター・メンジーズ
- 音楽/マイケル・ケイメン
- 美術/ジャクソン・デ・ゴヴィア
- ブルース・ウィリス
- ジェレミー・アイアンズ
- サミュエル・L・ジャクソン
- グラハム・グリーン
- コリーン・キャンプ
- ラリー・ブリッグマン
- アンソニー・ペック
- サム・フィリップス
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