『ロープ』(1948)
映画考察・解説・レビュー
『ロープ』(原題:Rope/1948年)は、アルフレッド・ヒッチコック監督が、実在のレオポルドとローブ殺人事件から着想を得て生み出した実験的サスペンスである。“完全犯罪”を成し遂げたと信じる青年ブランドン(ジョン・ドール)とフィリップ(ファーリー・グレンジャー)が、殺した同級生の死体を隠したまま開くパーティーを、リアルタイム進行で映し出す精巧な密室劇だ。ヒッチコックは全編を〈ワンカットに見える〉長回しで構成し、編集の断絶を極力排した流れるような視点移動によって、観客を部屋の空気ごと巻き込む没入感を創出する。
元ネタとなった「レオポルドとローブ事件」
アルフレッド・ヒッチコック監督の『ロープ』(1948年)は、一見するとスタイリッシュなサスペンスだが、その背後には実際の猟奇事件が横たわっている。1924年にアメリカ・シカゴで起こった「レオポルドとローブ事件」だ。
犯人はネイサン・フロイデンソール・レオポルド二世とリチャード・A・ローブ。二人は裕福なユダヤ人家庭の出身で、シカゴ大学に通う秀才だった。彼らはニーチェの超人思想に心酔し、「自分たちは凡人を超越している」「完全犯罪を成し遂げられる」と思い込む。
その傲慢な信念を証明するため、13歳の少年ボビー・フランクスを誘拐・殺害。身代金目的を装う偽装工作をしたが、遺体と共に発見された片眼鏡が決定的な証拠となり逮捕された。世間を震撼させたこの事件は「超人思想に取り憑かれた若者の犯罪」として広く知られることになる。この事件を題材にパトリシア・ハミルトンが戯曲『ロープズ・エンド』を書き、やがてヒッチコックが映画化したのが『ロープ』なのだ。
物語は、殺人を犯した二人の青年が「死体を隠した部屋」でパーティーを開くという大胆な設定から始まる。招待客の中には、彼らの恩師である哲学教授(ジェームズ・スチュワート)が含まれており、次第に「完全犯罪」の論理が揺らいでいく。
ここにはレオポルドとローブ事件に直結するテーマ、すなわち「超人思想」と「選ばれし者による犯罪の正当化」が色濃く投影されている。
全編ワンカットに見せる撮影手法
『ロープ』の最大の特徴は「全編ワンカット」とされる実験的な映像手法だ。実際には当時のフィルムが10分しか回せなかったため、完全なワンカットではない。しかし、俳優がカメラの前を横切る瞬間に画面を黒くして編集点を隠し、擬似的に連続した映像を構築している。
このため床全体にはカメラ移動用のコースが描かれ、重いカメラを移動させる専用台車も用意された。さらに、撮影音を消すために床下に特製の防音装置まで設置されていたという。
撮影はわずか18日間で行われたが、前例のない挑戦だったために業界関係者が連日見学に訪れたという逸話が残る。まさに映画史上の「実験作」であった。
音が語るサスペンス、初のカラー映画としての魅力
『ロープ』では、ヒッチコックが得意とするモンタージュの切り返しや緻密な構図が制約されている。ワンカットという縛りゆえに、映像的な緊張感を高めるのが難しい。そこで重要な役割を果たしているのが「音」である。
主人公たちの心理は、室内に流れる音楽や環境音に投影されていく。特にファーリー・グレンジャー演じる青年の不安や動揺はピアノの旋律によって表現され、観客は音を通じて彼の動揺を感じ取る。
ラストシーンで鳴り響くパトカーのサイレンは、犯人たちの運命を決定づける「音による演出」として強烈な印象を残す。ワンカットの制約がかえって音響表現の重要性を際立たせたといえる。
また、あまり語られない事実だが、『ロープ』はヒッチコックにとって初めてのカラー作品である。物語は夕方から夜へと進行し、窓外に広がるマンハッタンの風景がリアルタイムで色調を変化させていく。
この「夕暮れから夜への移ろい」を背景に、犯人たちの心理的緊張も徐々に高まっていく。ヒッチコックはカラーの表現力を活かして、舞台劇的な密室劇に映画的な奥行きを与えた。
撮影技術・音響演出・色彩設計の新たな挑戦
『ロープ』は、ヒッチコック自身が「映画の生命線であるモンタージュを封じた」としてあまり気に入っていなかったとされる。しかし、観客にとっては「ワンカットによる緊張感」「音が語る心理描写」「カラー表現の革新性」という多層的な魅力を備えた作品だ。
社会を震撼させた実在事件を下敷きにしながら、撮影技術・音響演出・色彩設計という三つの面で新たな挑戦を試みた『ロープ』は、サスペンス映画史において特異な位置を占める。
ヒッチコック映画を語る上で必ず触れるべき実験作であり、また「映画におけるリアルタイム性」を探求した先駆的な作品として、今なお再評価に値する。
- 原題/Rope
- 製作年/1948年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/80分
- ジャンル/サスペンス
- 監督/アルフレッド・ヒッチコック
- 脚本/アーサー・ローレンツ、ヒューム・クローニン
- 製作/シドニー・バーンスタイン、アルフレッド・ヒッチコック
- 原作/パトリック・ハミルトン
- 撮影/ジョセフ・A・ヴァレンタイン、ウィリアム・V・スコール
- 音楽/レオ・F・フォーブスタイン
- 美術/ペリー・ファーガソン
- 衣装/エイドリアン
- ジェームズ・スチュワート
- ジョン・ドール
- ファーリー・グレンジャー
- セドリック・ハードウィック
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