『ハスラー』(1961年/ロバート・ロッセン)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『ハスラー』(原題:The Hustler/1961年)は、若き天才ハスラー・エディ(ポール・ニューマン)が、伝説のプレイヤー・ミネソタ・ファッツ(ジャッキー・グリーソン)との対決を通して自分の生き方を見つめ直す物語。監督ロバート・ロッセンが、自身の“赤狩り”による挫折と贖罪を重ねた内省的ドラマである。
赤狩りと裏切りの十字架
ロバート・ロッセンは、本来ならハリウッドの王道を堂々と歩むべき気骨の映画作家だった。
ニューヨークの貧困家庭で育った彼は、血を吐くような努力をして学費を稼ぎ、ニューヨーク大学で映画製作を学ぶ。やがてその突出した才能が認められてハリウッドに進出。
ロバート・ペン・ウォーレンのピューリッツァー賞小説を映画化した政治ドラマ『オール・ザ・キングスメン』(1949年)が大ヒットを記録し、その年のアカデミー賞で作品賞を獲得する。だが、順風満帆と思われた映画人生が、思いがけないかたちで暗礁に乗り上げる。
時代は、ジョセフ・マッカーシー上院議員を中心とする赤狩りが、アメリカ国内に吹き荒れていた1950年代初頭。若き日に共産党員として活動していたロッセンが非米活動委員会(HUAC)の標的となった。
激しいバッシングと監視にさらされ、彼はアカデミー監督賞を逃したばかりか、ハリウッドのブラックリストに載り、映画界から事実上の追放という憂き目に遭ってしまう。
這い上がるためにすべてを賭け、やっとの思いで掴み取った映画監督という地位。それを失う恐怖と絶望の底で、苦悩の末にロッセンは悪魔との契約を交わしてしまう。
1953年、彼は再び委員会の公聴会に立ち、かつての同志であった共産党員の仲間たちの名前を証言することを決意したのだ。映画界へのカムバックという切符を手に入れる代償として、彼は自らの政治的アイデンティティーを投げ捨て、友を売るという、一生消えることのない巨大な十字架を背負うことになった。
この選択に、彼は文字通り終生苛まれ続けることになる。
『ハスラー』の密室に刻まれた自己の影
このような血を吐くような経緯を承知の上で、彼の晩年の傑作『ハスラー』(1961年)を鑑賞してみると、この作品がどれほど恐ろしい自己言及的な題材だったかが、痛いほど浮かび上がってくる。これはビリヤード映画の皮を被った、ロバート・ロッセンの壮絶な懺悔録なのだ。
ポール・ニューマン演じる若く野心に満ちたハスラー、エディ・フェルソン。彼の姿は、間違いなくかつてのロッセン自身だ。「俺こそが最強のハスラーだ」という絶対的なプライド、次々と強敵を打ち破っていくそのカリスマ性。それは、己の才能だけを武器にハリウッドの期待の若手として持てはやされ、怖いもの知らずだった頃の彼と完全に重なる。
やがてエディは、15年間不敗という伝説を持つビリヤード界の帝王、ミネソタ・ファッツ(ジャッキー・グリーソン)と戦うことになる。洗練された身のこなしで球を撞く彼は、撮影当時のロッセン自身だろう。
凄腕のハスラーでありながら、実は裏でビリヤード賭博のヤマを牛耳っている冷酷な元締め・バート(ジョージ・C・スコット)に完全に飼い慣らされ、単なるマネー・メイキング・マシーンへと成り下がっている。
その姿は、ハリウッドの巨大な権力システムに屈服し、己の主義主張を曲げてでも映画界に残ることを選択してしまった、現在のロッセンの痛ましい自画像に他ならない。
この息詰まる男たちの闘争のなかで異彩を放つのが、重度のアルコール依存症で情緒不安定な女性サラ(パイパー・ローリー)だ。彼女の脆く崩れそうな健気さと真っすぐさは、この腐敗した世界の中で純化され、エディに愛と人間らしさを教える羅針盤的な役割を担う。
しかし、その切実な思いは成就することなく、彼女は非業の死を遂げることになる。バートの飼い犬に成り下がり、魂を売り渡しかけていたエディは、彼女の凄惨な死を決定的な契機として自分を取り戻し、己のすべてを賭けて、再びミネソタ・ファッツとの一世一代の勝負に挑むのだ。
贖いとしての映画演出と魂の自立
紫煙が立ち込めるビリヤード場。撮影監督のユージン・シュフタンは、ローアングルとハイアングルを執拗に駆使して構図を引き締め、この密室空間に緊迫感を際立たせてみせる。
しかしながら、エディが死闘の末にファッツを打ち破っても、ハリウッド映画的なカタルシスは一切訪れない。なぜならこの痛ましい勝負には、最初から実質的な勝利者も敗北者も存在しないからだ。
エディは、自分たちを搾取しコントロールしようとするバートに向かって「お前こそが中身のない負け犬だ」と吐き捨てる。だが逆にバートは、権力者の余裕をもって「二度とビリヤード場に足を踏み入れるな」と最後通告を突きつける。
もちろん、この呪いのような言葉は、ハリウッドから一度は追放されたロッセン自身の凄惨な境遇と、血を流すように激しくリンクしている。
エディとミネソタ・ファッツ。この二人の天才を最終的に分け隔てているものは、「システムに魂ごと回収された者」か否か、そして「最愛の者を失ってでも己の志を貫いた者」か否かという一点のみだ。
二人は最後、静かに互いの健闘を称え合い、握手を交わす。それはビリヤードプレイヤーとしての敬意であると同時に、過去と現在の自分がスクリーンの中で静かに和解し、交錯する瞬間だった。
ロバート・ロッセンにとって、この魂の儀式のような握手のシーンは、己の人生を精算するために必要不可欠だったはず。かくして物語は、圧倒的な敗北感と鬱屈とした空気を肺の奥深くまで吸い込んだまま、静寂の中で終幕を迎える。
のちにロバート・ロッセンは、『ハスラー』という作品を「エディが真っ当な一人の男として自立するために、どうしても越えなければならない試練の物語である」と評している。
それは観客へのメッセージである以上に、何よりもまず裏切り者の烙印を押された自分自身に対して向けられた、血まみれの祈りの言葉であったのだ。
- 監督/ロバート・ロッセン
- 脚本/ロバート・ロッセン、シドニー・キャロル
- 製作/ロバート・ロッセン
- 制作会社/20世紀フォックス
- 原作/ウォルター・テヴィス
- 撮影/ジーン・シャフトン
- 音楽/ケニョン・ホプキンス
- 編集/デデ・アレン
- 美術/ハリー・ホーナー、アルバート・ブレナー
- ハスラー(1961年/アメリカ)
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