巨悪に立ち向かう者は、現実の世界ではヒーローになりえない。
正義ぶって総スカンを食らい、孤立無援のロンリー余生を過ごすよりも、腐敗しきったシステムに身を投じて保身をはかり、食いっぱぐれのない人生を送ったほうがよっぽどイイ。
それでも敢えて巨悪を糾弾しようという者がいるとしたら、その人物は頭がオカシイか、ものすごい変人かのどっちかだ。
アル・パチーノがふだんのアクの強さに拍車をかけて熱演するフランク・セルピコは、警察機構が堕落しきっていた60~70年代初頭に、組織ぐるみの汚職を告発して一躍ヒーローに祭り上げられた、実在の警察官である。
実際のセルピコ氏がどういう人物かは寡聞にして存じ上げませんが、映画での彼は鼻持ちならない、甚だ困った人物として描かれている。
風体からしてヒゲモジャのヒッピー・スタイル。恋人にはいつも怒鳴り散らし、賄賂を決して受け取らないことで仲間からは忌み嫌われている。それでもセルピコは己の信じた道をひたすら突き進む。彼女、友人、家族、全てを失っても、取り憑かれたかのように突き進む。
あっちもこっちも敵だらけで人間不信に陥り、セルピコのアパートが犬やらオウムやらハツカネズミやら、さながら小型動物園と化すのは、もはや心を許せる仲間は物を云わぬ動物たちしかいないからだ。
なぜセルピコは、そこまでして警察という巨大権力に対して牙をむいたのか?映画内には明快な回答はない。
彼が郷に入っても郷に従わない超個人主義者だったという、およそ一般オーディエンスの共感を得にくい設定があるのみだ。しかし、ここに社会派作家シドニー・ルメットの狙いがある。
セルピコは理想の警察官かもしれないが、決して理想の人物ではない。逆に、自分と家族の生活を守るために汚職に身を染める仲間たちは、もちろん理想の警察官ではないもの、人間的な魅力に溢れている。
シドニー・ルメットは、どちらに肩入れする訳でもなく、ただ淡々と、驚くほど抑制の利いたタッチで物語を綴ってみせる。そこにあるのは単純な善悪二元論的説話法ではない。理想主義も日和見主義も全て清濁合わせ飲んで、ニューヨークの現実を活写するという、公正不偏の視座なのだ。
アメリカ映画協会が選んだ「アメリカ映画100年のヒーロー部門」で、セルピコは第40位にランクインした。しかしそれは、彼の人間性が評価されたものではない。
彼は類い稀なる自己中心的性格によって、ハリウッド映画史にその名前を刻んだんである。
- 原題/Serpico
- 製作年/1973年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/ 130分
- 監督/シドニー・ルメット
- 製作/マーティン・ブレグマン、ディノ・デ・ラウレンティス
- 原作/ピーター・マーズ
- 脚本/ウォルド・ソルト、ノーマン・ウェクスラー
- 撮影/アーサー・J・オーニッツ
- 音楽/ミキス・テオドラキス
- アル・パチーノ
- ジョン・ランドルフ
- ジャック・キーホー
- ビフ・マクガイア
- トニー・ロバーツ
- コーネリア・シャープ
- F・マーレイ・エイブラハム
- アラン・リッチ
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