『八つ墓村』(1977年/野村芳太郎)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『八つ墓村』(1977年)は、横溝正史の怪奇色の濃い原作を、野村芳太郎監督と脚本家・橋本忍が“本格推理”から大胆に逸脱させ、祟りと情念が渦巻く恐怖劇へ転換した怪作。落武者伝説に呪われた山村を舞台に、渥美清演じる金田一耕助が連続する惨劇の真相へ迫っていくが、その語り口は論理よりも感覚的恐怖を前景化し、日本映画史でも異端的なホラー表現を切り開いた。
橋本忍が仕掛けたジャンル改変の豪腕
横溝正史の数ある傑作の中でも、その重々しい因習と血生臭さでひときわ異彩を放つ代表作『八つ墓村』。
過去に3度も映像化され、戦後間もない1951年には松田定次監督・片岡千恵蔵主演版が作られたが、これはまだ探偵小説の素直な映像化にとどまっており、観客に強烈なトラウマを残したとは言い難い。
1996年には、市川崑監督・豊川悦司主演版が公開。こちらは90年代的サスペンスドラマ志向を反映し、ドロドロの怪奇性よりも市川監督特有の映像美学が前景化していた。
おそらく、日本国民の脳髄に最も強烈なトラウマを刻み込んだ決定版といえば、1977年の野村芳太郎監督・渥美清主演版だろう。「たたりじゃー!」という、濃茶の尼(白川和子)が絶叫するあのキャッチコピーは流行語となり、横溝ブームを決定づけた象徴的作品として映画史にそびえ立っている。
この77年版を語る上で絶対に避けて通れない最大の特異点、それは「ミステリーの論理性をほぼ完全に放棄している」という驚天動地の事実である!
原作は、祟りや呪いという村の因習を隠れ蓑にして、犯人が連続殺人を行うという本格ミステリーの構造を持っている。しかし、この映画ではあろうことか、ホントの祟りを極限までブーストさせ、論理を超越したオカルト・ホラーとして観客の顔面に叩きつけてしまったのだ。
渥美清演じる金田一耕助の扱いに至っては、もはや清々しいほどの無法地帯。何の確証もないまま、ベラベラと真犯人を指摘する金田一に対し、下條アトム演じる警察官が「あのー、物証はあるんですか?」とまっとうなツッコミを入れるも、「そんなことよりも、この事件は不思議な点があるんですよ」と、完全に論点をすり替えてケムに巻いてしまう始末なのだ。
『本陣殺人事件』(1946年)や『犬神家の一族』(1950年)、『悪魔が来りて笛を吹く』(1951年)などの名作群と比べても、頭一つ抜けたゴスっぷりを誇る『八つ墓村』だが、正直なところ本格ミステリーとしてのトリックには底が割れた感があるのは否めない。
だからこそ、映画化にあたってあえて謎解きを後景に退かせ、情念とオカルトが支配する恐怖映画として創り上げてしまったのは、大正解の戦略だったと言える。
この悪魔的改変の背後にいるのは、黒澤明作品などで知られる日本映画界最強のシナリオライター、橋本忍。彼は横溝作品に特徴的な「山村の因習」「血なまぐさい人間関係」というドロドロのコードを、母子の情愛という普遍的なテーマと強引に接続しながら、ミステリーの皮を被った純然たる恐怖劇へと転換してみせた。
論理よりも情念、謎解きよりも感覚的恐怖。その大胆すぎる割り切りが、当時の日本映画において空前絶後の達成を生み出したのである。
酸鼻を極めたエクストリーム演出
ホラー映画としての破壊力は、野村芳太郎監督によるエクストリーム残酷演出によって、限界突破の領域にまで達している。その筆頭が、昭和初期に実際に起きた津山三十人殺しをモデルにした、多治見要蔵(山崎努)の村人虐殺シークエンスだ!
不気味な白塗りの顔、頭に懐中電灯を2本くくりつけた悪魔のようなビジュアル。手には日本刀と猟銃を持ち、狂気に満ちた眼差しで夜の山林を無言で駈けていく。そして、舞い散る美しい桜吹雪を背景に、逃げ惑う村人たちを次々と無慈悲に殺戮していくのだ。
命乞いをする老婆を深い井戸に突き落とし、生後間もない乳飲み子すら容赦なく斬り殺し、散弾銃で村人を蜂の巣にする。芥川也寸志による重厚でおどろおどろしいオーケストラ・スコアが鳴り響く中、正視に耐えない大殺戮が延々とスクリーンに展開される。日本映画史における強烈なトラウマ・シーンだ。
それだけではない。戦国時代の尼子氏の落武者惨殺シーンも、完全に常軌を逸している。村人たちの裏切りに遭い、稲葉義男が胸をカマで無惨に引き裂かれ、田中邦衛が首をスパッと切り落とされる酸鼻を極めた地獄絵巻。生首がゴロンと転がり、血しぶきが舞うその凄惨さは、スプラッター映画顔負けのゴア描写なり。
極め付けは、鍾乳洞の奥深くで繰り広げられる、真犯人・森美也子(小川眞由美)による追跡劇だ。愛する辰弥(萩原健一)を己のモノにするため、もはや完全に妖怪と化した小川眞由美が、暗闇の中を猛スピードで追いかけ回す。
冷静に文字面だけを追えばギャグ以外のなにものでもない展開なのだが、血みどろの殺戮シーンを見せられ、神経をすり減らされている観客に、もはや生半可なツッコミを入れる余裕など残されていない。
インサートされる「おぉおお…ひぃいいい…」という得体の知れないうめき声と、小川眞由美の“ホラー顔”の相乗効果により、僕は画面の前でガタガタと震え上がるしかなかった。
母の愛を探す日本的情念の結晶
『本陣殺人事件』や『獄門島』が本格推理小説としてのロジックを前面に押し出したのに対し、『八つ墓村』は祟り、落武者伝説の呪い、因習に縛られた閉鎖的な村といった、民俗学的・ゴシック的モチーフを強調した異色作。横溝正史のミステリーの中でも、かなり土着的なホラー小説としての側面が強い。
だからこそ、映像化において「謎解きの精緻さ」よりも「恐怖のオカルト」に全振りしたのも、メディアミックスの戦略としては大正解だったのである。
この戦略は見事に的中し、映画は熱狂的な支持を受けた。角川春樹事務所と東宝が組んで前年に大ヒットさせた市川崑監督の『犬神家の一族』(1976年)が約15.6億円という驚異的な配給収入を記録していたが、松竹が放ったこの『八つ墓村』は、その記録をさらに上回る約19.8億円。
1970年代前半、松竹は大島渚や吉田喜重ら若手監督が牽引した松竹ヌーヴェルヴァーグ路線が商業的に完全に頭打ちとなり、観客動員数は長らく低迷していた。そんなお通夜のような状況下において、この血まみれの恐怖映画は、文字通り松竹の屋台骨を救済する救世主となったのである。
とにもかくにも『八つ墓村』は、尋常ではない量の嘔吐物を吐き散らして絶命する、俳優たちのバリエーション豊かな死にっぷり(特に工藤校長を演じる下條正巳)に畏れおののくべき作品だ。
70年代日本映画におけるオカルト・ホラーの異端的かつ圧倒的な到達点であり、本格推理の骨格と、怪奇的幻想のあわいを、もっとも暴力的に映像化してみせた「文化的事件」なのである。
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