【思いっきりネタをばらしているので、未見の方はご注意ください。】
ブライアン・デ・パルマは、幼少時からシネマホリックだった訳ではない。
学生時代は典型的な理系少年で、進学したコロンビア大学では物理学の博士号を修得するほどのコンピューターおたくだったのである。
となれば、『殺しのドレス』(1980年)のピーター役を演じるキース・ゴードン君が、高校時代のブライアン・デ・パルマを引き写した存在であることは明白だ。
キース・ゴードンがオトナになって映画監督になったのというのは、何やら因果めいたものを感じさせる(撮っている映画は、『チョコレート・ウォー』や、『真夜中の戦場』など、聞いたことのない日本未公開作品ばっかしですが)。
そして、娼婦のリズを演じるナンシー・アレンが、彼にとってのファム・ファタールであることもまた明白(実際にデ・パルマとナンシー・アレンは当時結婚していた)。
大学講師の父親を持ち、カトリックを宗教的なバックグラウンドとする厳格な生活を送ってきたデ・パルマにとって、三流ポルノのごとき猥雑なエロさを芳香させるアバズレこそが、畏怖と尊敬の念を抱かせる女性像である。下着姿で純情少年を挑発するような、ポルノグラフィックでセクシャルな存在としてのオンナ。
しかし、マイケル・ケイン演じる精神科医のエリオットが内部に“女性”が巣食う二重性格者であり、彼の“男性”が性的に刺激されると“女性”が嫉妬に狂ってその対象を惨殺したように、デ・パルマも性的に興奮を覚えると女性を畜殺せずにはいられないのだ。
ラストは夢オチだとはいえ、アンジー・ディッキンソン、ナンシー・アレンというヒロインを二人とも死に追いやってしまう映画というのはあまり例がない。サディスティックな愛情表現として、それは映画に記憶される。
『ボディ・ダブル』(1986年)では美女が電動ドリルで串刺しになって殺されるし、『キャリー』(1976年)では母親がシシー・スペイセクに出刃包丁で刺し殺される訳だが、『殺しのドレス』におけるエレベーターの殺人シーンも、サディスティック度&残酷度ではヒケをとらず。
黒いサングラスをかけたブロンド女性にカミソリでメッタ刺しにされるこのシーンのおかげで、映画はX指定を受け、いくつかのショットを削除される憂き目にあってしまった。
別にブライアン・デ・パルマは真性のネクロフィリアな訳ではないだろう。ネクロフィリアは死体そのものを愛でる変態行為である。彼はただ、自分が畏怖すべき女性が無惨に殺されていく、その瞬間に猛烈なエクスタシーを感じるだけなのだ(どっちも変態だけど)。
ステディカムを効果的に利用した美術館におけるスプリットスクリーンなど、デ・パルマお得意の映像美もふんだんに楽しめる一品ではあるが、『殺しのドレス』はまず、「自分が心から愛する母親と初恋の女性が映画内で惨殺される」というモチーフに着目すべき映画だ。
そういう意味で、本作は撮られるのは必然の映画だったんである。
- 原題/Dressed To Kill
- 製作年/1980年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/105分
- 監督/ブライアン・デ・パルマ
- 脚本/ブライアン・デ・パルマ
- 製作/ジョージ・リットー
- 編集/ジェリー・グリーンバーグ
- 撮影/ラルフ・ボード
- 音楽/ピノ・ドナジオ
- 衣装/アン・ロス
- 美術/ゲイリー・ウエイスト
- マイケル・ケイン
- アンジー・ディッキンソン
- ナンシー・アレン
- キース・ゴードン
- デニス・フランツ
- デヴィッド・マーグリース
- フレッド・ウェバー
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