『ミクロの決死圏』(1966年/リチャード・フライシャー)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『ミクロの決死圏』(1966年)は、脳内出血で倒れた要人を救うため、特殊潜航艇をミクロ化して人体内部へ送り込むという大胆な設定で描かれるSFアドベンチャー。冷戦下のアメリカを舞台に、科学者チームは限られた時間の中で血流や神経の迷路を進み、危険に満ちた体内を突破しながら治療の手がかりを探っていく。最新技術への期待と国家的使命が重なり合う中、彼らは迫りくる制限時間と予測不能な障害に立ち向かう。
- 第39回アカデミー賞:美術賞、特殊視覚効果賞
- 第40回キネマ旬報(外国映画):第6位
冷戦パラノイアとミクロ化の軍事利用という矛盾
リチャード・フライシャー監督がメガホンを取った『ミクロの決死圏』(1966年)は、60年代SF映画の金字塔であり、科学技術と政治イデオロギーがもっとも密接に、そしてグロテスクに結びついていた冷戦時代のパラノイアを色濃く反映した作品だ。
物語の発端は、アメリカへの亡命を図った東側の重要科学者ヤン・ベネシュが、敵側の暗殺者に襲撃されて深刻な脳内出血を起こすところから始まる。
彼が握っている「ミクロ化技術の制限時間を撤廃する」という究極の軍事機密を聞き出すため、アメリカ軍は特殊潜航艇プロテウス号と5人の男女を細菌サイズにまで縮小し、患者の体内に直接注入してレーザー手術を試みる。
この設定だけでも相当にスリリングだが、その科学的ロマンの背後には巨大な矛盾が潜んでいる。物質をミクロ化する技術は、本来ならば大量破壊兵器の秘密裏の移送などを容易にするためのバリバリの軍事目的で開発されたもの。医療という人命救助のヒューマニズムは、その恐るべき技術を正当化するための隠れ蓑にすぎない。
テクノロジーというものは常に戦争と殺戮の影に寄り添って進化してきたという、20世紀科学史の逃れられない宿命を、この映画は図らずも映し出している。
しかも、患者の命を救うための医療ミッションでありながら、乗組員の中には敵の妨害工作を行うスパイが紛れ込んでいるというサスペンスまで用意されている。
「人体=守るべき国家」「免疫システムやスパイ=内なる脅威」という二重構造の寓話としてこの物語を機能させたフライシャーの手腕は実に見事だ。
敵性分子を内部に抱えながらギリギリのミッションをこなす彼らの姿は、赤狩りやスパイへの恐怖に怯えていた当時のアメリカ社会が抱える自己矛盾の縮図そのものなのだ。
内なる宇宙空間を表現した、執念の光学特撮
この映画が映画史において決定的な革新をもたらしたのは、人間の体内をまるで未知の惑星のように描き出した点にある。
心臓の鼓動を止めて心室を通り抜ける命懸けの突破劇や、内耳を通過する際に「わずかな物音でも嵐のような振動になって潜航艇が破壊されてしまう」という音響的サスペンスなど、人体という有機的な空間を巨大な障害物コースとして見立てるアイデアは、今見ても本当にワクワクする。
当時の特撮技術の限界に挑んだ映像美は圧巻の一言だ。L・B・アボットら特撮チームと、アーネスト・ラズロ撮影監督による見事な光学合成のテクニックは、その年のアカデミー賞で視覚効果賞と美術賞をダブル受賞。
スタジオに組まれた巨大な血管や心臓のセット、水槽の中に投射された発光素材、粘膜のグロテスクな透過光。それらが複雑に組み合わさることで、狭い体内の出来事であるはずなのに、どこまでも無限に拡張していく宇宙空間のような広がりを生み出している。
この圧倒的なスペース・オデッセイ感は、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968年)に先駆けること2年。キューブリックが人類の果てしない外的進化を冷徹に描いたのに対し、フライシャーは人間の皮膚の下に広がる内なる銀河に焦点を当てた。
潜水艦ノーチラス号などを手がけたハーパー・ゴフがデザインした美しいプロテウス号が、赤血球が恒星のように輝く血流の中を静かに航行していく姿は、外界と内界という二つの宇宙を見事に接続する見事な視覚的実験だった。
ラクエル・ウェルチという圧倒的フェティシズム
だがしかし、本作の記憶を僕たちの脳裏に強烈に焼きつけているのは、冷戦のメタファーでも特撮技術でもなく、何をおいてもラクエル・ウェルチの存在である。どう考えてもラクエル・ウェルチであり、何がなんでもラクエル・ウェルチなのだ。
スティーヴン・ボイドやドナルド・プレザンスといった渋いオヤジ俳優たちが顔を揃えるミッション・チームの中に、紅一点の助手コーラ・ピーターソンとして参加した彼女の放つオーラはヤバい。
バスト94、ウエスト58、ヒップ90という脅威のプロポーションにぴったりと張り付く真っ白なウェットスーツ姿は、もはや理性を麻痺させるほどの視覚的暴力。この映画は、彼女にとって同年の『恐竜100万年』と並んで世界的なセックス・シンボルへと駆け上がる決定的なショーケースとなった。
劇中、彼女が体内の抗体(白血球)に襲撃されるシーンがある。白い繊維状の粘液のような物質が彼女の豊かな身体にねっとりと絡みつき、もがき苦しむ彼女から男たちが必死になってそれを引き剥がすという描写は、誰がどう見ても露骨なまでにエロティックな象徴として機能している。
これを単なるサービスシーンのお色気と片づけてはいけない。そこには、科学の進歩という大義名分のもとに、女性の身体を解剖学的に観察し、視覚的な快楽へと還元していくという、60年代特有の男性中心主義的な視線がグロテスクなまでに潜んでいる。
彼女はSF的ロマンの象徴であると同時に、男たちの欲望を可視化する強烈なアイコンでもあったのだ。
手塚治虫の怒りと、ポップカルチャーの奇妙な還流
この作品を語る上で避けて通れないのが、手塚治虫の『鉄腕アトム』からのアイデア盗用疑惑だ。
もともとのミクロ化して体内に入るという発想は、1963年に放送されたアニメ版エピソード「細菌部隊」に由来すると言われている。アメリカのNBCが虫プロと契約し『ASTRO BOY』として全米放送していたこのエピソードを、20世紀FOXのスタッフが見て無断で映画のプロットに流用したという説が極めて有力なのだ。
手塚は自身のアイデアがハリウッド大作に無断借用されたことに当然激怒した。しかし、ここからが面白いところなのだが、手塚自身も後年になって自分が企画・監修したアニメ『ワンダービート・スクランブル』(1986年)において、「特殊部隊がミクロ化して体内に突入し、病を治療する」という設定を悪びれもなく再利用。
盗作の被害者が、後年になって自分自身を再盗作(あるいはセルフパロディ)するという、なんとも奇妙な倫理的ねじれが生じている。「腹も立ったが、まあお互い様だ」という手塚のコメントには、おおらかな時代の空気と、クリエイター同士のしたたかな駆け引きが垣間見える。
この日米間の相互模倣の構図は、アメリカ映画が日本の漫画やアニメのアイデアを吸収し、それを巨大なスケールで再生産し、さらにそれが日本のクリエイターに影響を与えるという、グローバルなポップカルチャーの循環の走りだった。アメリカは日本から単なるプロットを借りたのではなく、視覚的な想像力のジャンプを借りたのだ。
やがてこの文化的な往還は、『AKIRA』(1988年)や『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)を経て、ウォシャウスキー姉妹の『マトリックス』(1999年)やクリストファー・ノーランの『インセプション』(2010年)といった後年のハリウッドSF映画の傑作群へと結実していく。
ひとつのアイデアが国境とメディアを越えて再利用されるたびに、文化は翻訳と誤読を繰り返しながら独自の進化を遂げていく。『ミクロの決死圏』は、そんな半世紀にわたるカルチャー・リサイクルの最初の強烈な交差点でもあったのだ。
SF界の巨匠アシモフの苦悩と、科学ロマンの終焉
映画のラスト、見事にレーザー手術を成功させた乗組員たちは、涙腺を通って体外へと脱出する。しかし、激しい損傷を受けた潜航艇プロテウス号は、そのまま体内に放置されてしまう。
映画の脚本ではそれでハッピーエンドなのだが、SF的に考えればこれはとんでもない大惨事を引き起こす。なぜなら、ミクロ化の制限時間である60分が経過すれば、体内に残されたプロテウス号の残骸は元の巨大なサイズに戻り、救ったはずの患者を内部から爆発させてしまうからだ。
映画の公開に先立ってノベライズを依頼されたSF界の巨匠アイザック・アシモフは、この致命的な科学的矛盾に頭を抱えたという。彼は小説版の中で、プロテウス号の残骸は白血球に完全に貪食・分解されたため、元のサイズに戻ることはなかったという独自の理屈を付け加えて、なんとか論理的なつじつまを合わせた。
映像の勢いだけで押し切ろうとするハリウッド映画に対して、ハードSFの巨匠が文字の力で科学的な尻拭いをしたというこの逸話は、なんとも微笑ましい。
後年、ジョー・ダンテ監督の『インナースペース』(1987年)がこの体内突入のコンセプトを、スーパーマーケットのレジ係の体内に間違って縮小艇が注射されてしまうというスラップスティック・コメディとして再解釈したのは必然だった。80年代には、もはや世界は「科学の進歩が人類を救う」という無邪気な神話を信じていなかったからだ。
しかし、だからこそ『ミクロの決死圏』が持っていた、科学技術への底抜けの信仰と、人間の肉体という未知の宇宙に対する純粋な畏怖の念は、今見ても不思議な尊さを保っている。
最先端の特撮技術と、ラクエル・ウェルチという圧倒的な肉体美を掛け合わせることで、フライシャーは科学のロマンと官能の倒錯を見事に一つのパッケージに封じ込めた。
60年代という時代が持っていた、楽観的で少し危うい熱気は、このフィルムの中で今も細胞レベルで鼓動し続けている。
- 監督/リチャード・フライシャー
- 脚本/ハリー・クライナー
- 製作/ソウル・デヴィッド
- 原作/オットー・クレメント、ジェイ・ルイス・ビックスビー
- 撮影/アーネスト・ラズロ
- 音楽/レナード・ローゼンマン
- 編集/ウィリアム・B・マーフィー
- SFX/L・B・アボット
- ミクロの決死圏(1966年/アメリカ)
- 10番街の殺人(1971年/イギリス)
- ソイレント・グリーン(1973年/アメリカ)
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