古き良き時代を知らない世代に向けられた、昭和レトロ・マーケティングの最終形態
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001年)のヒットによって、はからずもノスタルジーがビジネスになることが証明されてしまった訳だが、『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)はまさに昭和レトロ・マーケティングの最終形態とも言うべき作品だ。
暴言を承知で言えば、この映画には真に語られるべき物語は存在しない。昭和33年という時代を背景にベタすぎる寓話的エピソードを積み重ね、「昔って人情に溢れていたんだねー」という郷愁と感慨を鑑賞者にたっぷりと提供するという、目的がその一点のみにあるような作品なのだ。
しかしそのノスタルジーは、かつて日本に存在した時代を、正確に抽出した世界ではない。大脳皮質にファイリングされた過去の記憶を、これでもかというくらいに美化した虚構世界である。
今作を演出したのは、『ジュブナイル』(2000年)、『リターナー』(2002年)など一貫してSF映画を撮り続けてきた山崎貴監督。昭和39年生まれの彼にとって生まれる前の昭和33年は、レトロ・フューチャー・ワールドだったのではないか。
だとすれば、“芳醇なSFイメージを下敷きにしたビルディングス・ロマン”という作風は、『ALWAYS 三丁目の夕日』においても、しっかり引き継がれていたのだ。
個人的に目を見張ったのは、青森から大都会・東京へと集団就職にやってきた堀北真希が、列車越しに流れる街並みを眺めるシーン。最新のデジタル技術によって再現された東京の街並みが、有機的に実写と絡んでいく圧倒的なダイナミズム。
紙ヒコーキがふわふわと空を飛んでいくシーン、ヤモリが蛾を捕らえて食べるシーン、夕焼けをバックに東京タワーがそびえ立つシーンを例に挙げるまでもなく、ノスタルジーはてらいもなくデジタル処理されている。つまり記号化されているのだ。
陳腐と言ってもいいエピソードの怒濤のたたみかけに、正直僕は泣かされてしまった。陳腐とは言い換えれば使い古されたクリシェ。しかし古き良き時代を描くこの作品にあって、それは強力な武器に成り得る。
日本テレビがバックについているとはいえ、『ALWAYS 三丁目の夕日』が日本アカデミー賞を総ナメにしたのも、納得の出来だ。
しかし僕が流す涙と、昭和33年をリアルタイムに生きた人間たちが流す涙とは、決定的な乖離がある。おそらく彼らはこの世界がフェイクであることを一発で見抜くだろう。
この作品は、古き良き時代を知らない世代に向けられた、レトロSF映画なのだ。
- 製作年/2005年
- 製作国/日本
- 上映時間/133分
- 監督/山崎貴
- 脚本/山崎貴、古沢良太
- 製作総指揮/阿部秀司、奥田誠治
- 製作/高田真治、亀井修、島谷能成、平井文宏、島本雄二
- 原作/西岸良平
- 撮影/柴崎幸三
- 美術/上條安里
- 音楽/佐藤直紀
- 特撮/山崎貴
- 吉岡秀隆
- 堤真一
- 小雪
- 堀北真希
- 三浦友和
- もたいまさこ
- 薬師丸ひろ子
- 須賀健太
- 小清水一揮
- マギー
- 温水洋一
- 小日向文世
- 木村祐一
- ピエール瀧
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