観客のあらゆる“読み”を許容する、余白を残した西川美和の語り口
【思いっきりネタをばらしているので、未見の方はご注意ください。】
西川美和が紡ぐ映像は、いつだって多義的だ。ワンカット、ワンカットにあらゆる可能性を忍ばせて、物事を断定せずに余白を残す。
『蛇イチゴ』(2002年)、『ゆれる』(2006年)の過去二作と同じく、西川美和は『ディア・ドクター』(2009年)でも、曖昧さのなかに潜む抽象性を巧みな手つきで引き出してみせる。
キャッチコピーの「その嘘は、罪ですか。」が示す通り、これは地域の人間から神のごとく崇められている医者・伊野治(笑福亭鶴瓶)が、実は無免許医師であることが判明し、隠蔽された過去がゆっくりと引き剥がされて行く物語だ。
だが、なぜその嘘が生まれたのかは全くもって判然とせず。年収2000万円という金銭的理由?本物の医師だった父親に対するコンプレックス?それとも無医村で困っている人間を救いたいという正義感?映画はそのいずれの理由も断定しない。ただ、あらゆる可能性を提示するだけだ。
よって、人なつこい笑顔を絶やさない伊野自身が、極めて多義的かつ重層的なキャラクターとして配置される。他の登場人物との人間関係によって、彼の“白い”部分と“黒い”部分が交互に露呈されるのだ。
研修医の相馬(瑛太)は“白”を補完する役割としてプロットされているし、医師のりつ子(井川遥)は“黒”を補完する役割としてプロットされている。その中間項に生じる、ファジーな“灰色”の部分こそが人間の本質なのである。
信頼していた伊野が無免許医師と知り、村民たちは掌を返すように彼に対して悪辣な感想を述べる。彼らが求めていたのは伊野という一個人ではなく、2000万円という報酬に足り得る、医療技術を提供する職人でしかなかった。その意味で、映画のオープニング・シーンは実に暗示的だと思う。
街灯一つない夜の山村を、一台のチャリンコが駆け抜けていく。やがて搭乗者は、道に白衣が落ちているのを見つけて身にまとう。
カメラはその様子を引きのロングショットで捉えているので、てっきりこの人物が伊野だと錯覚してしまうんだが、実はコレが全く関係ない赤の他人。
もちろん「偽物」という映画の主題を直裁に示しているんだが、医者という存在が極めて記号的な存在であり、匿名的な存在であることを暗に示しているんではないか。
伊野は、必殺スマイルを浮かべながら相馬に「ボク、(自動車)免許ないのよ」と語るが、ひょっとしたら医師の免許がないことを早くも暗示していたのかもしれない。
彼の医療技術は、全て看護婦の大竹(余貴美子)から教わったものかもしれない。医者にしてはあまりにも大雑把に大葉を包丁で切る姿を見て、鳥飼かづ子(八千草薫)は彼の正体を見破ったかもしれない。2人の刑事は、伊野の調査をするうちに同情の念が湧いてきて、彼の逃亡を見てみぬフリをしたのかもしれない。
西川美和の語り口は、僕らのあらゆる読みを許容する。たっぷりのユーモアとペーソスをまぶしながら。
- 製作年/2009年
- 製作国/日本
- 上映時間/127分
- 監督/西川美和
- プロデューサー/加藤悦弘
- 企画/安田匡裕
- 原作/西川美和
- 脚本/西川美和
- 撮影/柳島克己
- 美術/三ツ松けいこ
- 編集/宮島竜治
- 音楽/モアリズム
- 衣裳/黒澤和子
- 照明/尾下栄治
- 笑福亭鶴瓶
- 瑛太
- 余貴美子
- 井川遥
- 松重豊
- 岩松了
- 笹野高史
- 中村勘三郎
- 香川照之
- 八千草薫
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