激賞の嵐だが、個人的にはサプライズを感じられない’90sサスペンス
【思いっきりネタをばらしているので、未見の方はご注意ください。】
今や、’90年代を代表するサスペンス映画として揺るぎない地位を誇っている、『ユージュアル・サスペクツ』(1995年)。
公開されるやいなや、巧妙に設計されたストーリーが話題を呼び、日本でも「細部に至るまで緻密に構成されているため、完全入れ替え制で上映いたします」と途中入場を禁止する措置がとられ、衝撃的な結末に関する箝口令が敷かれたものだ。
クリストファー・マッカリーによる脚本は、第68回アカデミー賞で脚本賞を受賞するわ、全米脚本家組合の「最高の映画脚本101」に選出されるわ、激賞の嵐な訳だが…うーん、『ユージュアル・サスペクツ』ってそんなに凄い脚本ですか?
結局この映画って、ヴァーバル(ケビン・スペイシー)の証言によって、物語がフラッシュバックで回想されていく構成なんだけれども、そもそもヴァーバルが伝説の大物ギャングであるカイザー・ソゼその人であり、語られてきた話は全てホラだった、というのが最大のミソになっている。
ということは、どんなに現実と辻褄が合わないことが語られようと、「それは全部ウソだったからデス!」で片付けられてしまうんである。
物語の語り手が真犯人である、というトリックは古くはアガサ・クリスティー女史の『アクロイド殺し』(1926年)でも使われた手。ではどこまでがケビン・スペイシーがねつ造した話でどこまでが実際の話かもよく分からない。映像的にねつ造ショットと客観ショットの区別がつかないのが、最大の瑕疵なんである。
最後のサン・ペドロ埠頭のシーンで、いかにも意味ありげにロープの束を映しているショットがあるが、これはたぶん“この後ろにケビン・スペイシーが隠れていると思いきや、本当はここには居らず、実際はキートン(ガブリエル・バーン)を殺しに船に上がっていた”ことを明示しているんだろう。
しかし、そもそもねつ造ショットと客観ショットが入り乱れているこの映画において、あまりこのショットも効果的に作動しているとは思えない。冒頭に登場するカイザー・ソゼの拳銃や煙草の持ち方から、彼は左利きであることが露見するんだが、左半身不随のケビン・スペイシーが逆に一番怪しいことは明白。僕的には真犯人にもさしてサプライズが感じられず。
少なくとも、ビリー・ワイルダーの『情婦』(1957年)や、ジョージ・ロイ・ヒルの『スティング』(1973年)のほうが数倍シナリオの見事さに舌を巻きましたです。
ちなみに『アンユージュアル・サスペクツ』(2006年)という映画も存在するのだが、これハウス・ミュージック誕生の瞬間について語ったドキュメンタリー作品であり、本作とは何の関係もありませんので念のため。
まぎわらしー!!
- 原題/The Usual Suspects
- 製作年/1995年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/106分
- 監督/ブライアン・シンガー
- 製作/ブライアン・シンガー、マイケル・マクドネル
- 製作総指揮/ロバート・ジョーンズ、ハンス・ブロックマン、フランソワ・デュプラ
- 脚本/クリストファー・マッカリー
- 撮影/ニュートン・トーマス・サイジェル
- 編集/ジョン・オットマン
- 音楽/ジョン・オットマン
- 美術/ハワード・カミングス
- スティーヴン・ボールドウィン
- ガブリエル・バーン
- チャズ・パルミンテリ
- ケビン・ポラック
- ピート・ポスルスウェイト
- ケビン・スペイシー
- スージー・エイミス
- ジャンカルロ・エスポジート
- ベニチオ・デル・トロ
- ダン・ヘダヤ
- ピーター・グリーン
- クリスティーン・エスタブルック
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