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Double Infinity/ビッグ・シーフ

『Double Infinity』──ビッグ・シーフが描く“フォークの未来形”とは?

『Double Infinity』(2025年)は、アメリカのインディー・フォーク・バンド、ビッグ・シーフによる通算6作目のスタジオアルバム。全編を通してアコースティックとエレクトロニクスが交錯し、英語詞は日常の断片や記憶を断続的に描く。「Vampire Empire」「Born for Loving You」などが収録され、即興的な演奏の呼吸が作品全体を貫く。

フォークを超えて――ボン・イヴェールとの交差

ビッグ・シーフの通算6作目となるアルバム『Double Infinity』は、2024年にベーシストのマックス・オレアーチクが脱退し、トリオ体制となって初めての作品となる。

多くのバンドにとってメンバーの離脱は痛手だが、彼らはその「欠落」を創造の跳躍台とし、従来のフォークロック的な枠組みを大きく揺さぶってみせた。本作に響くのは、歌と楽器、言葉と感情の境界を失わせ、音そのものを実験的に探求する姿勢である。

これまでのビッグ・シーフは、エイドリアン・レンカーの内省的な歌声と、アコースティックを土台にしたアンサンブルによって、現代フォークの最前線を切り拓いてきた。2019年の『U.F.O.F.』や『Two Hands』はその見事な到達点だったといえるだろう。

だが『Double Infinity』では、そうしたフォークの骨格が意図的に解体されている。リズムは重心を失い、和声は不安定に揺らぎ、旋律は抽象的な断片として漂う。

この変化を理解するための参照点として浮かび上がるのが、ボン・イヴェールの軌跡だ。シンガー・ソングライターとして孤独なフォークを奏でていた彼は、『22, A Million』(2016年)以降、加工音声や断片的サウンドを導入し、フォークの拡張を実験的に推し進めていく。

3人となったBig Thiefが今回鳴らしている音は、まさにその「解体を経て未来を切り開く」という試みと交差している。

言葉の限界と声の音響化

オープニングを飾る「Incomprehensible」は、本作の姿勢を端的に示した一曲。タイトル通り「理解できないもの」を歌ったこのナンバーでは、リリックは意味を伝えるのではなく、断片として空気中に散らばっていく。

その途切れや震えが、言葉以上に真実味を帯び、聴き手に直接触れてくる。レンカーの声は語りではなく音響へと変質し、言葉を超えた感情の震えを体現する。

続く「Grandmother」では、アンビエント界の巨匠ララージが参加し、ジターのきらめきが倍音の波紋を広げる。ここで鳴っているのは旋律ではなく空間そのものだ。音の粒が空気に漂い、聴き手を包み込むような体験は、もはやフォークソングの延長ではなく、音響芸術としての野心を示している。

そしてM-6「No Fear」では、実験的なアプローチの奥にある人間的な普遍性が顔をのぞかせる。恐れを乗り越えることへの祝福が、簡素なメロディに込められているのだ。抽象的でありながら、感情はむしろ鮮明に響き、リスナーは自らの記憶や感覚を重ね合わせずにはいられない。

欠落が生んだ自由

オレアーチクの脱退によって、Big Thiefはベースという支点を失った。だがその「穴」は、逆説的に音を自由にした。重力から解き放たれた各パートはより自在に漂い、偶発性を孕んだ即興的アンサンブルを生み出している。制作もまた、ニューヨークのスタジオで行われた長時間のセッションに依拠しており、そこでの瞬間的なひらめきが曲の構造を形作った。

従来のBig Thiefが「曲を緻密に編み上げる」バンドであったとすれば、ここでの彼らは「瞬間を記録する」バンドへと変貌している。欠落は喪失ではなく、新しい創造の契機になったのだ。

フォークの未来形として

『Double Infinity』は、フォーク・バンドとしてのアイデンティティを自ら解体し、新しい音響の地平を切り開いた記録だ。言葉と声の乖離を抱え込み、旋律ではなく空間を彫刻し、欠落を創造に変える。その姿勢は、単なるジャンルの変化にとどまらず、音楽を「人間の存在そのものの震え」として提示している。

ボン・イヴェールが示した「フォークの未来」は、ビッグ・シーフの音楽において新たな形で継承されている。『Double Infinity』は、フォークの終焉ではなく、その未来形。そこには、音楽がまだ未知の領域へ変貌しうることを示す確かな証拠が刻まれている。

DATA
  • アーティスト/ビッグ・シーフ
  • 発売年/2025年
  • レーベル/4AD
PLAY LIST
  1. Incomprehensible
  2. Words
  3. Los Angeles
  4. All Night All Day
  5. Double Infinity
  6. No Fear
  7. Grandmother(feat.ララージ)
  8. Happy with You
  9. How Could I Have Known