本筋とは関係なしに“性”が刻印される、記念すべき小栗康平の処女作
キネマ旬報ベストテン第1位、日本映画ペンクラブ第1位、毎日映画コンクール最優秀作品賞受賞、ブルーリボン賞最優秀作品賞受賞。
とにかく賞という賞を総ナメした感のある『泥の河』(1981年)。今や’80年代の邦画を代表する作品として確固たる地位を築いている。しかーし、僕は子供が嫌いなんである。よって子供が主役の映画も嫌いなんである。
「昭和31年の戦後復興期、大阪・安治川の河口を舞台に、食堂の息子と船上に住む幼い姉妹との交流を描く」映画なんぞ食指ノー・ムーヴだったんだが、小栗康平の『死の棘』(1990年)や『眠る男』(1996年)は割と好きだったので、じゃあ彼の処女作も観てみるかいなと、気合い入れまくりで鑑賞した次第。
芦屋雁之助演じる馬車屋が出てきたと思ったら、すぐお陀仏になるのは驚いたが、この映画では本筋とは関係なしに“死”が横溢している。
ゴカイ採りをしていたジイさんは船から落ちてしまうし、父親(田村高廣)は今だ戦争の記憶が癒えず「スカみたいにしか生きられない」と告白しているし、その父親のかつての恋人は京都の病院で死の床にある。
そしてまた、この映画では本筋とは関係なしに“性”が刻印されている。信雄少年は、廓船で客引きをしている加賀まりこのセックスを目撃してしまうし、銀子お姉ちゃんにも憧れに近い感情を抱いている。
まーよく考えてみれば、子供の成長過程で“性”と“死”は大人への通過儀礼でありまして、「泥の河」はそれを実直になぞった映画ともいえる。
だが、個人的にこの映画にはあまりノレなかったです。かのスティーヴン・スピルバーグが「子役に対する演出がワンダフル」と絶賛したらしいが、僕には喜一少年のハニカミがどーにも作為的に見えて仕方がなく、銀子お姉ちゃんの一本調子のお芝居も好きになれず。
田村高廣が二度目の手品を見せるシーンでは妙に録音状態がくぐもっているし、照明も全体的にフラットすぎるきらいがある(蓮實重彦もこの映画のカメラには異を唱えている)。
蟹にマッチで火を灯すシーンなんぞ、もう少し幻想的に撮れるショットだと思うんだが。やっぱり僕は、子供が主役の映画は好きになれないようである。
- 製作年/1981年
- 製作国/日本
- 上映時間/105分
- 監督/小栗康平
- 製作/木村元保
- 原作/宮本輝
- 脚本/重森孝子
- 撮影/安藤庄平
- 照明/島田忠昭
- 美術/内藤昭
- 編集/小川信夫
- 音楽/毛利蔵人
- 助監督/高司暁
- 田村高廣
- 藤田弓子
- 朝原靖貴
- 加賀まりこ
- 桜井稔
- 柴田真生子
- 初音礼子
- 西山嘉孝
- 蟹江敬三
- 殿山泰司
- 八木昌子
- 芦屋雁之助
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