転換期を迎えたジブリの混迷と渾沌を抱えた作品
『風の谷のナウシカ』(1984年)に比べて、この『もののけ姫』(1997年)ははるかに救いがない物語だ。
希望無き混沌とした世界にあっても、「生きろ」という矛盾したメッセージは、作家・宮崎駿自身の苦悩でもある。『風の谷のナウシカ』では、「人間と自然とは共存できる」という曙光を見出した。まあ、とってつけたような安易な救済ではあったけれども。
しかし『もののけ姫』においては、最後まで人間と自然の対立構造は崩れない。これはもはやエコロジーなんて生易しいモノでない。エコロジーという言葉自体、人間主導の自然救済思想なのだから。
風の谷の姫として共存の道を模索したナウシカと違い、宮崎駿は本編の主人公であるサンに「人間は好きになれない」と言わせている。
さしずめ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)の庵野秀明なら極端に「だから人間はいらない」とでもなるのだろうが、宮崎駿はそれすらも包み込み、「生きろ」と言い放つ。そして最後のアシタカのセリフ、「君は森で、僕はタタラ場で暮らそう」に凝固するのだ。
個人的意見だが、ここ数年スタジオジブリは興業収入の安定とは逆の曲線を描いて、作品のレベルは低下していく一方のような気がしてならない。
「アニメとは子供のためにあるもの」とは、宮崎駿自身の言葉である。しかし彼は自らの言葉を裏切るような作品を作り続け、『紅の豚』 (1992年)の出来は単なる私アニメでしかなかった。
夢や希望が持ちにくい、閉塞感に満ちた「今」という時代では、どのようなメッセージも霞のように消えてしまいがちだ。
『エヴァンゲリオン』がまさに時代を捉えていたのは、絶望・個の喪失といった負のベクトルで物語を完了させてしまった点にある(もちろん、物語の文脈は逆説的に捉えるべきではあろうが)。
不条理な物語を不条理のままで描き切ってしまった『もののけ姫』には、宮崎駿の乱暴なまでの情熱がスクリーンに焼き付いている。そこに答えはない。あるのは、自然界に対する畏怖の念と、それに調和できない人間たちの骨太なドラマだ。
ファンタジーが人生を肯定するエネルギー源でなく、単なる夢物語になってしまう今、スタジオジブリはどのような方向性を模索していくのか。『もののけ姫』は、転換期を迎えたジブリの、混迷と渾沌を抱えた作品だ。
- 製作年/1997年
- 製作国/日本
- 上映時間/135分
- 監督/宮崎駿
- 脚本/宮崎駿
- 原作/宮崎駿
- プロデューサー/鈴木敏夫
- 製作総指揮/徳間康快
- 製作/氏家齊一郎、成田豊
- 音楽/久石譲
- 美術/山本二三、田中直哉、武重洋二、黒田聡、男鹿和雄
- 編集/瀬山武司
- 録音/井上秀司
- 松田洋治
- 石田ゆり子
- 田中裕子
- 美輪明宏
- 小林薫
- 森繁久彌
- 森光子
- 西村雅彦
- 上條恒彦
- 島本須美
- 渡辺哲
- 佐藤允
- 名古屋章
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