2026/4/30

『s(o)un(d)beams』(2011)徹底解説|声の多重録音と電子音が交差する、先鋭的なアヴァン・ポップ

『s(o)un(d)beams』(2011年/salyu×salyu)
楽曲背景と意味を深掘り考察・批評・レビュー

10段階評価
8 GOOD
概要

『s(o)un(d)beams』(2011年)は、salyu×salyuが発表したアルバムであり、小山田圭吾をプロデューサーに迎えて制作された。Salyu自身の声を多重録音した幾何学的なコーラスワークと、緻密に配置された電子音が柔らかく溶け合い、アヴァンギャルドな手法とポップ・ミュージックの構造が自然に共存する。「ただのともだち」「心」「s(o)un(d)beams」などの楽曲が収録され、洗練されたプログラミングの中に声という生楽器の温かな温度が漂う。

受賞歴
  • 2011年ミュージック・マガジン:年間ベスト・アルバム ロック[日本]部門 第2位
目次

声が音になる瞬間──LilyからSalyu×Salyuへ

Salyuという特異な声の存在は、もともと映画の中から現れた。岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)に登場する架空の歌姫、Lily Chou-Chou。その神秘的な声を担ったのがSalyuだった。

虚構と現実の境界線からふわりと立ち上がった彼女は、デビューの時点から“声”というメディアの在り方を僕たちに問いかける存在だったと言える。

だが、その後の初期の彼女は、プロデューサーである小林武史の強固な枠組みの中で生きていた。緻密なバンド・アンサンブルの上に乗る声として美しく設計され、感情と叙情の間を揺れ動く、ある意味で典型的なJ-POPシンガーとしての道を歩んでいたのだ。

Salyu自身がそこに何らかの限界や窮屈さを感じていたのは確かだろう。彼女の中には、ヴォーカリストとしての純粋な欲望、つまり「自分の声をもっと自由に、構造的に扱ってみたい」という強い衝動が抑えきれないほどに膨らんでいた。

その衝動を見事に形にしたのが、コーネリアスこと小山田圭吾との奇跡的な邂逅だった。彼らをつないだのは、彼女の声を楽器のように解体し、再構築していくというアプローチへの親和性だ。

単なる歌唱技術の向上ではなく、“声を建築する”という発想。その壮大な実験が完璧な形で結晶化した音響装置こそが、アルバム『s(o)un(d)beams』(2011年)なのである。

多重録音の魔術と、坂本慎太郎の言葉

『s(o)un(d)beams』の核心にあるのは、“声”そのものを純粋な音素材として扱うという発想だ。

ここでのSalyuの声は、主旋律であり、リズムであり、そしてハーモニーでもある。幾重にもメロディラインが重なり合い、声が別の声を支え、時には声が打楽器のようにリズミカルに反復される。ここで彼女は「感情を歌い上げる人」から、音のパーツを緻密に組み立てる「構築する人」へと劇的な変貌を遂げているのだ。

アルバムの冒頭を飾る「ただのともだち」では、多重録音されたSalyuの無数の声が四方八方から飛び交い、圧倒的に立体的な音響空間を形成していく。音の層はどこまでも透明でありながら、息を呑むほどに密度が高い。

これはもはや歌というよりも、精巧な音の彫刻だ。コーネリアスによるサウンド・プロダクションは冷徹なまでに幾何学的でストイックだが、そこに元ゆらゆら帝国の坂本慎太郎が書き下ろした素朴で温かいリリックが乗ることで、不思議な血の温度が与えられている。この“冷たさとぬくもりの絶妙な接点”にこそ、Salyu × Salyuというプロジェクトの美学が宿っている。

そして、驚異的な柔軟性を見せつけているのが「奴隷」という楽曲だ。複雑なコード進行と変則的なタイム感の中でも、彼女の声は一切の迷いを見せない。

音が密集し、時にスリリングに衝突しても、彼女の発声は空間全体を美しく整流していく。まるで自己増殖する音の波の中で、自分自身を何度も再構築していくような凄みがある。

この多層的な構造は、聴覚的な快楽を通り越して、「一体誰が歌っているのか?」「本当の“私”はどこにいるのか?」という声の存在論的な問いへと至る。

Salyuは自分の声を極限まで分裂させ、自己を解体しながら、最終的にひとつの巨大な音として再生してみせたのだ。その理念は、かつて坂本龍一が『B-2 UNIT』(1980年)や『未来派野郎』(1986年)で提示した声の解体=再構築にも通じる、極めて先鋭的な思想の継承でもある。

音響装置としての身体──ライブで体現された“声の未来”

2011年の夏、僕は夢の島公園で開催された野外フェス「WORLD HAPPINESS」で、このSalyu × Salyuのステージを目撃した。

「ただのともだち」のミュージックビデオでは四人のSalyuが分身するように同時に歌っていたが、実際のステージ上では優秀なサポートヴォーカルを3人従え、リアルタイムでその複雑な多重構造を完璧に再現してみせていたのだ。

ひとつの声が四つに分かれ、空間をぐるぐると巡回しながら再び一体化していく。その神々しい光景は、もはや音楽のライブというよりも、現代アートのインスタレーションに近かった。

そこでの彼女は、従来の歌手という枠組みを完全に超えていた。ステージ上で自らの声を素材として自在に操る存在、つまり身体を持った精巧な音響装置としてそこに立っていたのである。Salyuは声を身体から切り離すのではなく、身体そのものを声の生成装置として極限まで拡張していたのだ。

小山田圭吾は本作において、左右の定位を極端に振るパンニング、空間のずれを生み出すマイクロディレイ、そして中域の絶妙な間引きを駆使して、声の多層構造を鮮やかに浮かび上がらせた。その手法は、まるで構築された自然音とも呼ぶべき、心地よい人工的リアリズムを作り出している。

コーネリアスにとってSalyuというシンガーは、自身の複雑な音楽的アイデアを完璧に実体化できる、この上なく稀有なメディアだったのだろう。

そしてSalyuにとっての小山田は、声という自身の身体を再定義し、解放するための絶対に必要な他者だったのだ。『s(o)un(d)beams』とは、ふたりの天才的な実験が美しく交差した結果生まれた、紛れもない〈声の未来形〉である。

感情をただストレートに伝えるのではなく、音の「構造」そのものでリスナーの感情を深く喚起する音楽。そこにこそ、コーネリアスとSalyuが提示した新しいポップスの到達点があるのだ。

参考文献・出典

アルバム情報
プレイリスト
  1. 1. ただのともだち
  2. 2. muse’ic
  3. 3. Sailing Days
  4. 4. 心
  5. 5. 歌いましょう
  6. 6. 奴隷
  7. 7. レインブーツで踊りましょう
  8. 8. s(o)un(d)beams
  9. 9. Mirror Neurotic
  10. 10. Hostile To Me
  11. 11. 続きを
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