クニモンド滝口が現代に蘇らえらせた、シティポップの煌めき
教科書的に言うと“シティポップ”というジャンルは、日本語ロックの祖であるはっぴいえんどに端を発して、山下達郎、吉田美奈子、杉真理、大滝詠一など、アダルト・オリエンテッドな洋楽の洗礼を浴びたミュージシャンが、70年代末~80年代はじめに紡いだ“都会的で洗練された音楽”ということになっている。
しかし、こんなにざっくりとした説明では、“シティポップ”は単なる音楽ジャンルのみに規定されるのではなく、ひとつのヤングカルチャーの総体であったことが分かりにくくなってしまう。
もう少し、時計の針を後ろに戻してみよう。四畳半的で陰鬱としたフォークソングが歌謡界を支配していた、’70年代。垢抜けた音楽センスを持つ、ユーミンやシュガー・ベイヴがミュージック・シーンに颯爽と登場し、マスコミは彼らに対して“ニュー・ミュージック”という新しいジャンルを命名した。
しかしカー・ステレオが一般に普及する80年代になると、松任谷由実『流線形’80』(1978年)、山下達郎『RIDE ON TIME』(1980年)、大滝詠一『LONG VACATION』(1981年)といったアルバムは、アーバンな香りを車内にふりまくオサレな“ドライブ・ミュージック”として流通し始め、やがてシティポップという呼称を得るに至る。
80年代初頭は、テレビでW浅野が女性たちの支持を集め、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』(1981年)や、わたせせいぞうの『ハートカクテル』(1986〜年)がボーイズ&ガールズの教科書となり、ホイチョイプロダクションズの『私をスキーに連れてって』(1987年)が大ヒットする時代だった。
この頃は、パルコ文化やセゾン文化に代表される、ヤングカルチャーがトレンドとなる時代だった。つまりシティポップとは、バブリーな時代と共振するかのごとく産み落とされた、シティライフを演出する“アイテム”であり、バブル期を表象するキーワードだったのである。
んで、流線型である。元大手外資系レコードショップのバイヤーという経歴を持つ、クニモンド滝口氏によるソロユニットだ(もともとは5人組バンドだったらしい)。
2003年のミニアルバム『シティミュージック』(そのまんまですな)を経て、本作『Tokyo Sniper』(2006年)が初のフルアルバムということになるのだが、これが完全に80年代シティポップを瞬間密封して現代に蘇らせたかのような一枚。確信犯的なコンセプチュアル・アルバムなのだ。
例えば、富田ラボあたりもシティポップの系譜を受け継いだアーティストといえるのだろうが、オーケストレーションを多用する軽妙洒脱なアレンジメントは、どちらかといえばバート・バカラックに代表されるような、トラディショナル・ポップスに近接している。それに対して流線型は、徹頭徹尾、80年代にこだわりまくった、ヴィンテージ・サウンドに仕上げているのだ。
クニモンド滝口は、
あの時代に山下達郎さんや吉田美奈子さんがやっていたことに対するオマージュというか、憧れがある
と名言しており、
生のドラム、フェンダーのプレシジョン・ベース、フェンダー・ローズの3つがあれば、ほとんど成立しちゃうんですよね
とも語っている。マイクの種類、コンプレッサーのかけ方にもこだわりまくり。歌詞に出てくるフレーズも、「レインボー・シティ・ライン」だとか、「ベイサイド・フィーリング」だとか、「ミッドナイト・チェイサー」だとか、意味は良く分かんないんだけど(笑)、カタカナ英語が氾濫していた80年代の空気はガンガン伝わってくる。
単なる音楽ジャンルではないはずのシティポップを、クニモンド滝口は純粋な音楽表現で現代に蘇らえらせてしまったんである。
P.S.
オフィシャルには、美大生の江口ニカなる女性をヴォーカリストに迎えているということになってるんだが、その正体は実は一十三十一だったらしい。道理でメチャ歌がうまい訳だよ。
- アーティスト/流線形
- 発売年/2006年
- レーベル/Happiness Records
- タイムマシーン・ラヴ
- 花びら
- レインボー・シティ・ライン
- 恋のラストナンバー
- 薄紫色の彼方
- TOKYO SNIPER
- DANCING INTO FANTASY
- スプリング・レイン
- 雨のシンデレラ
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