『占星術殺人事件』(1981)
映画考察・解説・レビュー
『占星術殺人事件』(1981年)は、怪奇幻想画家が遺した手記に基づき、6人の女性の肉体を合成して完璧な女性「アゾート」を創り出すという猟奇事件を描く物語である。事件から40年後、占星術師の御手洗潔と助手の石岡和実がこの未解決事件に挑む。緻密な論理と幻想的なトリックが交錯し、ミステリ史に残る衝撃的な結末へと突き進む。
社会派ミステリへの逆襲
『占星術殺人事件』(1981年)に出会ったのは、僕が大学生のとき。友人のTくん(変態)が、「おい、同じ大学出身で、とんでもなく面白いミステリを書く奴がいるぞ」と、この本を薦めてきたのだ。それ以来、島田荘司という名の魔術師が仕掛けた逃れられない幻術に、僕はずっとハマり続けている。
思い返せば、1981年当時の日本のミステリ界は、松本清張が切り拓いた社会派リアリズムが、絶対正義として君臨していた時代だった。犯罪には社会的な動機が必要、トリックよりも人間ドラマ、そんな不文律が支配する重苦しい空気の中で、本作はあまりにも異質だった。
雪の密室、バラバラ死体、占星術による肉体合成。リアリズムの信奉者たちからすれば、嘲笑の対象になりかねないガジェットのオンパレード。実際、江戸川乱歩賞の選考では、そのあまりの荒唐無稽さが批判され、落選の憂き目に遭っている。
だが、この作品の真価は、そのリアリズムへの反逆にこそある。島田荘司は、薄汚れた現実の写し鏡としてのミステリではなく、論理と幻想が交錯する知的遊戯としてのミステリを、たった一人で復権させようとしたのだ。
冒頭、約40ページにもわたって延々と語られる「アゾート」の遺書。この狂気に満ちたドキュメントが読者に突きつけるのは、「これはただの事件ではない、神話への挑戦なのだ」という宣言に他ならない。
当時、ダンプカーの運転手や占星術師をしていたという著者の異色の経歴も、この作品の特異なグルーヴ感に拍車をかけている。整った文章を書く作家は五万といるが、これほどまでに「熱」と「妄想」をドライブさせられる作家はいなかった。
アゾートという名の悪魔的発明
本作を語る上で避けて通れないのが、ミステリ史上最大にして最凶のトリック、「アゾート」である。6人の処女を殺害し、それぞれの肉体から最良のパーツ(頭部、胸部、腹部、腰部、大腿部、下脚部)を切り取って繋ぎ合わせ、完璧な女性「アゾート」を創り出す。このグロテスクかつ耽美的なホラーテイストの設定こそが、本作を単なる謎解きパズルから、一種の芸術作品へと昇華させている。
ここで特筆すべきは、島田荘司が仕掛けた「読者への挑戦状」の潔さだ。すべての手がかりは提示されている。嘘はない。しかし、世界中の読者が騙された。なぜか? それは、このトリックが物理的であると同時に、あまりにも心理的な盲点を突いているからだ。
後に『金田一少年の事件簿』がこのトリックを流用し、社会的な騒動となったことは有名だが、それは裏を返せば、推理作家なら誰もが地団駄を踏むほど、このトリックが美しく完成されていたことの証明でもある。
海外での評価も凄まじい。2014年、英ガーディアン紙は「世界の密室ミステリーベスト10」の第2位に本作を選出。欧米のミステリ通たちが、アーサー・コナン・ドイルやアガサ・クリスティと並べてSoji Shimadaを崇めているのだ。
論理(ロジック)と奇想(ファンタジー)の奇跡的な融合。この「アゾート」のトリックが解明された瞬間のカタルシスは、脳髄に電流が走るような快感だ。
サッパリ分からない状態から、たった一つの視点の転換で世界が反転する。これぞ、本格ミステリだけが持つドラッグ的な効能ではないか。
御手洗潔、あるいは20世紀最後のシャーロック
この狂気の世界を案内するのが、名探偵・御手洗潔である。占星術師でありながら占いを信じず、鬱屈した日々を送り、演説癖があり、躁鬱の気がある変人。彼は、警察組織の正義のためには動かない。彼を突き動かすのは、退屈な日常への倦怠と、人間の狂気への知的好奇心のみだ。
シャーロック・ホームズの現代的アップデートと評されることも多いが、御手洗潔のキャラクター造形はもっと現代的で、かつ日本的。そして明白に社会不適合者である。
大学時代の僕が彼に惹かれたのは、その「世の中とうまくやっていけない感じ」に、痛いほどのシンパシーを感じたからかもしれない。石岡和実というワトソン役との漫才のような掛け合いは、重苦しい猟奇殺人の合間に挟まる一服の清涼剤であり、同時に彼らの「孤独な魂の共鳴」を描くブロマンスの走りとも言える。
本作以降、綾辻行人をはじめとする「新本格ミステリ」の作家たちが次々とデビューし、日本のミステリ界は黄金期を迎えることになる。だが、そのすべての源流はここにある。島田荘司がたった一人で、リアリズムという巨大な壁に風穴を開けた、その亀裂からすべては始まったのだ。
40年以上経った今も、この作品が放つ妖しい光は一切衰えていない。
