古典中の古典として、ワールドワイドに愛読されているアーサー王と円卓の騎士の物語。僕も福音館書店の豪華装丁本で、夢中になって読みあさった記憶があります。
『アルマゲドン』、『パイレーツ・オブ・カリビアン』、『ナショナル・トレジャー』など、CG全面活用のビッグ・バジェト・ムービーを次々にヒットさせ、ハリウッド屈指のプロデューサーとして我が世の春を謳歌しているジェリー・ブラッカイマー。
そんな彼が、この遺産を掘り起こさない訳がない。秘蔵っ子のアントワーン・フークアを監督に迎えた『キング・アーサー』は、とにかく映像の強度にこだわった、縦横無尽なスペクタキュラーが展開される。
過去何度も映像化されているアーサー王物語だが、中世ヨーロッパの暗黒時代ではなく、5世紀のブリテンを舞台にしたのが新解釈。
ローマ帝国によって征服された国々では、忠誠を誓うために、年端もいかぬ若者たちが戦争に駆り出され、15年間の兵役に就かなければならなかった。その傭兵の一人がアーサーである、という超大胆設定なのだ。
円卓の騎士最強を誇るランスロットはあっさり殺されてしまうし、従順な姫君だったはずのグィネヴィアはゲリラ部族のウォードの剣士として敵をバッタバッタと斬り殺していくし、魔法使いアーサーにいたってはほとんど出番がなし。
原作に慣れ親しんだ保守的なファンなら怒り心頭かもしれないが、「アナザー・サイド・オブ・アーサー王物語」として鑑賞すれば、これはこれで面白い。
しかし、この映画はそんなことが問題なのではない。致命的なぐらいにストーリーテリングが破綻しているのだ。
そもそも、やっと自由の査証を得たはずのアーサー王と円卓の騎士たちが、なぜ生命を投げ打ってまで最後の戦いに挑むのかがさっぱり分からない。
ハイスピード撮影やらブルーを基調とした寒色系の映像設計やらで、何となくビジュアルで納得させたつもりになっているが、実はなーんにも納得させられていない。
知らないうちにウォードが味方になってるし、唐突にアーサーとグィネヴィアがイチャつきはじめるし、いやーもうムチャクチャである。
『キング・アーサー』は、ハリウッド映画、というよりもジェリー・ブラッカイマー映画の特徴が端的に示された作品と言える。効率的な説話法とCG多用のダイナミックな映像によって、極端に記号化されたキャラクターたちが活躍する物語。
だがこの映画には、映画として根本的な“語り”が放棄されている。僕はそれを映画と呼ぶことには、ためらいを感じてしまう。
- 原題/King Arthur
- 製作年/2004年
- 製作国/アメリカ、アイルランド、イギリス
- 上映時間/126分
- 監督/アントワーン・フークア
- 製作/ジェリー・ブラッカイマー
- 製作総指揮/ネッド・ダウド、チャド・オマン、マイク・ステンソン
- 脚本/デヴィッド・フランゾーニ
- 撮影/スワヴォミール・イジャック
- 編集/コンラッド・バフ
- 音楽/ハンス・ジマー
- クライヴ・オーウェン
- キーラ・ナイトレイ
- ヨアン・グリフィズ
- ステラン・スカルスガルド
- スティーヴン・ディレイン
- マッツ・ミケルセン
- ジョエル・エドガートン
- ヒュー・ダンシー
- レイ・ウィンストン
- レイ・スティーヴンソン
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