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セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん/うすた京介

『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』うすた京介はいかにしてジャンプ神話を破壊したのか

『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』(1995〜1997年)は、うすた京介が描いた学園ギャグ漫画。物語は、謎の格闘技“セクシーコマンドー”を操る花中島マサルと、巻き込まれる生徒フーミンを中心に展開。部活動を通して奇行が連鎖し、常識と非常識が交錯する日常が繰り広げられる。

ジャンプという制度への異物──「ナンセンス」の革命としての『マサルさん』

うすた京介の『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』(1996〜1997年)は、1990年代の『週刊少年ジャンプ』の只中に突如として出現した笑いのメタ爆弾だった。

友情・努力・勝利という三本柱が支える“王道少年誌”の構造に、ナンセンスという脱臼的言語を注入することで、ジャンプ的物語の根幹を内部から崩壊させたのである。

当時のジャンプ誌面には、『ドラゴンボール』、『SLAM DUNK』、『るろうに剣心』といった、成長・勝利・連帯の倫理を体現する作品が並んでいた。

その中で「セクシーコマンドー」という意味不明の格闘技を掲げ、物語性を放棄したマサルの暴走は、まるで制度への異物挿入だった。しかも、うすた京介は“ツッコミ”という装置を利用して、その制度批判を笑いに転化してみせた。

フーミンという常識人が、マサルの無軌道な行動に逐一ツッコミを入れる。この形式がジャンプ的“友情・努力・勝利”の三原則そのものをパロディ化する。

ツッコミは秩序の回復を目的とするはずなのに、フーミンの常識が機能すればするほど、逆に常識そのものの空虚さが露呈する。うすた京介の狙いは、笑いの形式を借りて、「規範」そのものの滑稽さを暴くことにあった。

ナンセンス vs シュール──ツッコミが生成する「制度批評」

よく誤解されるが、『マサルさん』はシュールではない。シュールとは、吉田戦車の『伝染るんです。』が示したように、「意味の断絶」を通して不条理を露出させる笑いの形式である。日常の中に異物が滑り込み、誰もそれを咎めない。世界は静かに狂っていく。そこにはツッコミが存在しない。

一方、ナンセンスとは、あくまで「常識」を参照しながらその土台を転覆する行為である。つまり、ボケとツッコミの回路を前提とした笑いの形式だ。

『マサルさん』では、マサルの異常性がツッコミによっていったん正され、次の瞬間にその正しさが無意味化される。この反復が、少年漫画における“秩序の再建”というお約束を無化する。

ツッコミは本来、常識を守る最後の砦である。だが、フーミンが常識を叫べば叫ぶほど、そこに「ジャンプ的規範」の脆さが浮かび上がる。ナンセンスの本質とは、世界の秩序を破壊することではなく、秩序を過剰に演じることで、その虚構性を暴露することなのだ。

笑いの伝統──落語・漫才・ナンセンス詩の系譜

この構造を文化史的に俯瞰すれば、『マサルさん』は決して孤立した現象ではない。日本的笑いの系譜には、古典落語の「ボケ/サゲ」構造、漫才の「ボケ/ツッコミ」応酬、そしてナンセンス詩の言語遊戯が脈々と流れている。

井上ひさしは『吉里吉里人』(1981年)で、独自の人工言語を創造し、国家権力の言語秩序を脱臼させた。谷川俊太郎はナンセンス詩によって、意味の硬直を解きほぐした。

彼らに共通するのは、「ことば」という制度に対するラディカルな懐疑である。うすた京介の『マサルさん』は、その笑い版とも言うべき作品だ。

漫才的な「ボケとツッコミ」という伝統形式を少年誌の中で極端化することにより、彼は日本語そのものの制度疲労を暴き出した。言語の意味作用が崩壊する瞬間、笑いは「意味の再生」ではなく「意味の不在」を祝祭化する。そこに、ナンセンスがナンセンスとして成立する美学がある。

“友情・努力・勝利”の終焉──制度の内部からの崩壊

『マサルさん』の革新性は、ジャンプという制度の“外”からの批判ではなく、“内”からの破壊にある。物語の形式、台詞のリズム、キャラクターの関係性――すべてが「ジャンプ的コード」を参照しながら、それを笑い飛ばす構造になっている。

「友情」は成立せず、「努力」は空回りし、「勝利」は意味を持たない。だがそれでも登場人物たちは、無意味なルールに従って動き続ける。その姿は、90年代の社会構造そのものの寓話である。

バブル崩壊後の日本において、「努力すれば報われる」という神話はすでに瓦解していた。『マサルさん』は、その時代の精神的風景を最も軽やかに、最も破壊的に可視化した作品だった。

ここでの笑いは、単なる不条理ギャグではない。少年漫画という制度的物語における「目的の消失」、そして「意味の戯画化」を描く文化批評的実践なのだ。うすた京介は笑いの形式を借りて、ジャンプ神話の終焉宣言を行ったのである。

笑いの中に宿る批評精神

『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』は、ナンセンスという形式を用いて、制度的物語の虚構性を露わにした。

シュールが意味を宙吊りにするのに対し、ナンセンスは制度そのものを反転させる。笑いの形式を徹底的に操作することで、うすた京介は「ジャンプ的世界観」を自壊させた。

それは、谷川俊太郎の詩が言葉の外側を照らし、井上ひさしが国家を笑いの言語で解体したように、笑いを通じた文化批評の実践である。『マサルさん』が発表された90年代後半という時代に、少年誌の中でこのような自己言及的ギャグが成立したこと自体、奇跡に近い。

すごいよ!!うすた京介!!

…最後にセクシーコマンドー部の主題歌(なぜ主題歌があるのかは謎だが)を紹介してこの稿の筆を置こう。

セクシーコマンドー部 主題歌(原作詞・作曲/花中島マサル)

ダバサー サバディ~~
サバダッササンサンサバディ~
君かい? 唐獅子かい?
あ~~もう… 踊るぞこら!!!
走るのかい? え? スティックかい!!?
まずいだろ スティックは! ああ! やめろ!!
あ…!? あ…なんだ… そうそう それならよし…
笑うとき 歯グキを出すな
ヘイ ブラザー…セクシー コマンドー部…

DATA
  • 著者/うすた京介
  • 発表年/1995年〜1997年
  • 掲載誌/週刊少年ジャンプ
  • 出版社/集英社