サイドストーリーが暴走しすぎの、雰囲気第一主義ミステリー
人通りのない真夜中の鋪道、それを横切る黒猫のカット、そして目を見開いている浮浪者(?)の死体のアップ…。
ミステリー映画としては、直球すぎるくらいの王道のオープニングにちょっと苦笑してしまうが、問題はそんなことではない。良ろしくないのは、このシーンがストーリーと全く関係ないという驚愕の事実である。お~い、どういうことだあ、アラン・パーカー!!お前、一体ナニ考えとんねん!!
全体の醸し出している雰囲気自体はグーである。舞台をアメリカ南部のニューオリンズに設定しているが(ここはアメリカ本土で唯一ブードゥー教が広まった州でもある)、亜熱帯気候地帯の独特の匂いみたいなものが、映像からたちのぼってくる。
ミッキー・ローク演じる私立探偵ハリー・エンゼルを、ハードボイルドなテイストで演出しているのも古き良きアメリカを連想させるし、幾度となく挿入される「ハリーがエレベーターに乗っている」シーンも印象的だ。
しかしながらこの映画、どーにもこーにも本筋とは関係ない描写が多すぎ。
序盤でブードゥー教の信者らしき人々(なぜかこいつら教会でソウル歌っているんだよなあ。ブルースブラザースか?)に追いかけられるシーンがあるんだが、編集段階でカットにならないのが不思議。だって、ストーリーとホント関係ないんだもん。
複雑な人間関係はセリフですませてしまう安直さ、雰囲気第一主義によるシナリオの崩壊、論理的構成を無視した雑な編集。「木に竹を接いだよう」とはまさにこのこと。「観客不在」の悪しき例である。
別に映画はストーリー主導であるべきだ、という主張をしているのではない。しかしメインストーリーをきちんと語れていないのに、サイドストーリーが暴走してしまうのはいかがなものか。
アラン・パーカーは雰囲気を描くのに夢中になって、ストーリーを語るのを放棄したのだろうか。女性ファンはとりあえず、ミッキー・ロークのジゴロ丸出しのセックスアピールに酔いしれて頂ければ良いと思います。
- 原題/Angel Heart
- 製作年/1987年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/113分
- 監督/アラン・パーカー
- 脚本/アラン・パーカー
- 製作/アラン・マーシャル、エリオット・カストナー
- 製作総指揮/マリオ・カサール、アンドリュー・ヴァイナ
- 原作/ウィリアム・ヒョーツバーグ
- 撮影/マイケル・セラシン
- 音楽/トレヴァー・ジョーンズ
- 美術/ブライアン・モリス
- ミッキー・ローク
- ロバート・デ・ニーロ
- シャーロット・ランプリング
- リサ・ボネット
- ストッカー・フォントリュー
- マイケル・ヒギンズ
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