ドイツ表現主義の革命児、フリッツ・ラングの初トーキー映画
サスペンス映画の古典として名高い『M』(1931年)だが、実はとんでもなく複雑な構成。幼女誘拐連続殺人鬼を扱った映画だからといって、安易にサイコ・スリラーとしてカテゴライズするのは間違っている。以下にその構成を述べよう。
- シリアル・キラー「M」が少女を殺害。警察に挑戦状を送りつける(サイコ・スリラーの展開)
- 街のヤクザが警察に先駆けて「M」を捕獲しようと画策。ビルの中に追い込み、「M」を捕まえる(サスペンス・アクションの展開)
- 民衆の前で「M」の公開裁判。罵声と怒号のなか、死刑を宣告させられる(社会派映画の展開)
この三段構成により、『M』は90分という小品ながら恐ろしく重層的なフォーマットを形成しているんである。
最初は、『羊たちの沈黙』」(1991年)みたいな映画かと思ったら、少したったら『逃亡者』(1993年)になって、最終的には『十二人の怒れる男』(1957年)だったようなもの。約60年経った今観ても異色だが、公開当時はセンセーショナルな作風だったに違いない。
この映画で一番恐ろしいのは、ラストの公開裁判。「M」は自らが精神異常をきたしていると告白し、次のようなセリフを述べる。
俺の中には悪魔が潜んでいるんだ。
選択の余地がなかったんだ…
責任能力は問えないとして無実を主張する弁護人に対し、民衆は激高して口々に叫ぶ。
お前に子供を失った親の気持ちが分かるのか?
死刑にしろ!
死刑にしろ!
さながら魔女裁判のような展開で、僕は昔読んだ『デビルマン』(1972年〜1973年)の魔女狩りシーンを思いだしてしまった。
完全に「正義」と「悪」の境界線はボーダーレスとなり、「正義」の執行人であるはずの民衆すら、醜悪な生き物に堕落してしまう。
このあと警察がやってきてあえなくジ・エンドとなる訳だが、観終わってもなかなかその余韻から抜け出すことは出来ない。
同じく、人を裁くことの恐ろしさを描いた『十二人の怒れる男』は、陪審員制度によって今の強いアメリカがあるのだ、というストレートなメッセージがあった。しかし、『M』ではその単純な回答すら与えない。
当時ドイツは第一次世界大戦の敗戦から立ち直ることができず、経済的に不況が続いていた。肉体的・精神的苦痛を強いられてきた民衆の怒りのハケ口が、この「M」に集中砲火したという推測は乱暴すぎるだろうか。
いずれにしろ、ファシズムの暗い影が少しずつ忍び寄ってくる時代背景を感じずにはいられない。
とにかく、狂気の殺人鬼を演じるピーター・ローレの、目ン玉をひんむいた怪演がスゴい。彼の吹く口笛も無気味そのもの。この映画を観て以来、クラシックの名曲「ペール・ギュント」が地獄の子守唄に聞こえてしまうのは僕だけではないだろう。
- 原題/M
- 製作年/1931年
- 製作国/ドイツ
- 上映時間/98分
- 監督/フリッツ・ラング
- 脚本/フリッツ・ラング、テア・フォン・ハルボ、カール・ファース
- 原作/エゴン・ヤコブソン
- 撮影/フリッツ・アルノ・ワグナー、カール・ファース
- 音楽/エドワード・グレイグ
- ピーター・ローレ
- オットー・ベルニッケ
- グスタフ・グリュントゲンス
- エレン・ウィドマン
- インゲ・ランドグット
- フリッツ・グノス
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