辞世の句に「Fuck」をチョイスした、スタンリー・キューブリックの遺作
スタンリー・キューブリックは寡作の映画作家だったが、生涯を通じて様々な題材に挑戦し続けてきた。彼のフィルモグラフィーは実にバラエティーに富んでいる。
- 現金に体を張れ→犯罪映画
- 突撃→戦争映画
- スパルタカス→歴史映画
- ロリータ→変態映画
- 博士の異常な愛情→コメディー映画
- 2001年宇宙の旅→SF映画
- 時計じかけのオレンジ→青春映画
- バリー・リンドン→歴史映画
- 『シャイニング』(1980年)→ホラー映画
- 『フルメタル・ジャケット』(1987年)→戦争映画
う~む、何とも多種多様というか、節操がないというか。しかし映画的アプローチは様々にしろ、キューブリックは一貫して「狂気」というモチーフを描いてきた。
その意味でセックスを主題にした『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)は格好のテキストだろう。セックスほど人間を狂気の世界に陥れるものはないのだから。
原作は、新ロマン主義を代表する作家アルトゥール・シュニッツィラーが1926年に発表した中編、『夢小説』。オーストリアの医師がウィーンの町で体験する、夢と現実がないまぜになったような不可思議な出来事を、幻想的な筆致体で綴った作品である。
キューブリックは1972年に映画化権を取得していたものの、他のプロジェクトに忙殺されて、製作が始動したのは90年代に入ってから。ジョン・シュレシンジャー監督の『ダーリング』(1965年)でアカデミー賞を受賞した脚本家フレデリック・ラファエルと共同でシナリオにとりかかり、舞台設定を20世紀初頭のウィーンから現代のニューヨークに移し替えた。
すでにこの映画に関しては、有名無名に関わらず一家言ある方々のレビューが巷に溢れている。「キューブリック的な倫理に貫かれた映画」とか、「これはキューブリック流のファミリー・ロマンス」とか、「夫婦という共同体の不確かさを描いた作品」とか、どれも興味深い考察ばかりだ。
うーむ、なるほど。確かにその通りだと思う。だがその一方で、「この映画って実はコンテクストを追いかけてもしょうがないんじゃないの?」という疑問も頭をもたげてくる。単にトム・クルーズ&ニコール・キッドマン夫妻(当時)を小馬鹿にしたいがための映画のように思えてならないのだ。
トム・クルーズ演じるウィリアム・ハーフォード医師は、薄っぺらなほどフラットで、コンサバティブで、最大公約数的なキャラクター。ニューヨークの上流階級に位置し、多少なりともマリファナもたしなみ、「虹のふもとに行きませんこと?」とパツキンのモデル2人組に誘われれば、フラフラと快楽の園へ足を向けてしまう。
キューブリックは、トムに典型的WASPを演じさせることによって、マネー・メイキング・スターとしてのオーラをいっさいがっさい剥奪してしまった。『アイズ・ワイド・シャット』に映し出されるのは、妻から他人とのセックスの渇望を告白されるやいなや、エロティックな妄想に悩まされるダメダメ男の醜態なんである。
ニコール・キッドマンにも容赦なし。この映画では、下半身丸出しでトイレに腰掛けているシーンや、お尻丸出しで服に着替えているシーンや、脇をクンクン嗅いで体臭を確認してるシーンなど、マニアにはたまらないシーンが盛り沢山だ(何のマニアかは知らんが)。
キューブリックはハリウッドの大女優にハズカシイことをいっぱいやらせて、色虐的に楽しんでいたに違いない。キューブリックは年老いてヒッチコック化した。もはやこれは映画という形をとったSMショーである。
つまりキューブリックの目的は、映画界で最も成功を収めているトム・クルーズ&ニコール・キッドマン夫婦を、イギリスに46週間も拘束し(ちなみに撮影期間としては、ギネスブックにも認定されている長さだ)、疑似空間で疑似夫婦を演じさせ、セックスを強要し、彼らが体現するアメリカ的なイノセンスを嘲笑することにあったんではないか。シニカルな視座で彼らをあざけり笑うことにあったんではないか。
だとすればこの映画は、単に内容の出来不出来いかんで推し量れる作品ではない。映画製作の実権を握れなかったため、生涯に渡って毛嫌いしてきた自作『スパルタカス』(1960年)以降、アメリカを離れてイギリスでコツコツと映画製作にいそしんできた隠遁親父による、「ハリウッドへの逆襲」なのだ!
キューブリックは、旧友リー・アーメイ(『フルメタル・ジャケット』でハートマン軍曹を演じた人物)との電話で、「『アイズ・ワイド・シャット』はヒドい駄作だ」と愚痴ったそうな。
トム・クルーズとニコール・キッドマンという、スーパースターを完全にコントロール出来なかったことが原因らしいが、今となっては真相は闇の中。彼はこの映画の公開を待たず、70歳でこの世を去ってしまった。図らずも本作は彼の遺作となった訳だが、
キューブリックがニコール・キッドマンに託した最後の台詞(遺言)は、一言ズバリ「Fuck」。死ぬまで頑固で皮肉屋だった彼らしい、見事な幕引きではないか。
- 原題/Eyes Wide Shut
- 製作年/1999年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/159分
- 監督/スタンリー・キューブリック
- 製作/スタンリー・キューブリック
- 脚本/スタンリー・キューブリック、フレデリック・ラファエル
- 原作/アルトゥール・シュニッツラー
- 撮影/ラリー・スミス
- 音楽/ジョスリン・プーク
- 美術/レスリー・トムキンス、ロイ・ウォーカー
- トム・クルーズ
- ニコール・キッドマン
- シドニー・ポラック
- レード・セルベッジア
- トッド・フィールド
- ヴィネッサ・ショウ
- アラン・カミング
- リーリー・ソヴィエスキ
- スカイ・ダモント
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