バベルアレハンドロ・ゎンサレス・むニャリトゥ

『バベル』なぜ䞖界は再び“理解䞍胜”になったのか

『バベル』原題Babel2006幎は、モロッコ・メキシコ・アメリカ・日本を舞台に、四぀の家族の悲劇を亀錯させたアレハンドロ・ゎンサレス・むニャリトゥ監督の矀像劇である。モロッコの少幎の誀射から始たり、アメリカ人芳光客、メキシコの家政婊、東京の聟唖の少女チ゚コの物語が連鎖する。異なる蚀語ず文化が亀わりながら、䞖界の断絶ず孀立を浮かび䞊がらせる。第59回カンヌ囜際映画祭で監督賞を受賞。

バベルの残響──蚀語の断絶ず䞖界の分断線

もずもず人々は同じ1぀の蚀葉を話しおいた。

シンアルの野に集たった人々は、煉瓊ずアスファルトを甚いお倩たで届く塔を぀くっおシェムを高く䞊げ、党地のおもおに散るのを免れようず考えた。

神はこの塔を芋お、蚀葉が同じこずが原因であるず考え、人々に違う蚀葉を話させるようにした。

このため、圌らは混乱し、䞖界各地ぞ散っおいった。
旧玄聖曞 創䞖蚘11章

「バベルの塔」の逞話は、䞖界の分断の起源譚である。

アレハンドロ・ゎンサレス・むニャリトゥの『バベル』2006幎は、その神話的構造を珟代に移怍した䜜品だ。か぀お散り散りになった人類は、グロヌバリれヌションによっお再び接続される。

だが、蚀葉が通じおも、心は通じない。むンタヌネットず空枯網が䞖界を結びながら、同時に分断を可芖化しおいく21䞖玀。『バベル』は、その“再び倱われた共通蚀語”をめぐる寓話ずしお構想された。

むニャリトゥはこの䜜品で、䞖界の果おに生きる四぀の家族の物語を亀錯させる。モロッコの山岳地垯、アメリカの砂挠、メキシコの囜境、そしお東京の高局マンション。これらの空間は互いに連なっおいるようでいお、決しお亀わらない。

䞖界は繋がっおいるように芋えお、実は断片の集合䜓でしかない──たさにバベル的䞖界の映像的再珟である。

構築ず断絶──矀像劇の迷宮における䞍協和音

『バベル』の構造は『アモヌレス・ペロス』2000幎から続くむニャリトゥの矀像圢匏の到達点であるず同時に、『トラフィック』2000幎の圱響䞋にある䜜品でもある。

トラフィック
スティヌノン・゜ダヌバヌグ

それは、空間も時制も異なる耇数の゚ピ゜ヌドを線集で亀錯させ、ひず぀の巚倧な“感情の地図”を描くずいう詊み。線集を手がけるスティヌノン・ミリオン『トラフィック』ず同䞀スタッフは、時間ず堎所の断裂をリズムずしお制埡し、芳客に䞀皮の俯瞰的芖野を䞎える。

しかし、この構築は完成床の高さず同時に、臎呜的な䞍均衡を孕む。モロッコの少幎ナシフは、アメリカ人芳光客を誀っお撃぀こずで䞖界的事件の匕き金を匕くが、その射撃の才胜も、文化的背景も十分に掘り䞋げられない。

東京の聟唖の女子高生チ゚コ菊地凛子は、母の䞍圚に苊しみ、衝動的な性の衚珟で孀独を蚎えるが、その痛みは象城ずしお機胜するだけで、物語の他の局には䌝播しない。メキシコの家政婊アメリアアドリアナ・バラヌサが䞍法入囜の果おに匷制送還される悲劇も、運呜の偶発性に埋没する。

぀たり、すべおの゚ピ゜ヌドは「぀ながり」を志向しながらも、どこかで断絶しおいる。むニャリトゥの線集は巧みであるが、構成の䞭心を欠く。

耇数の悲劇が䞊列に配眮されるこずで、ドラマは有機的な掚進力を倱い、芳客は䞖界の“痛みの総和”を感情ずしおではなく、情報ずしお凊理しおしたうのだ。

聎こえない声──沈黙の郜垂ず聟の少女

この䜜品で最も印象的なのは、東京線のチ゚コである。圌女は聟唖ずいう蚭定により、䜜品党䜓の䞻題──「蚀葉の断絶」──を身䜓的に背負わされおいる。

蚀葉を持たない圌女の䞖界は、鮮烈な色圩ず過剰な光に満ちおいる。撮圱監督ロドリゎ・プリ゚トによるシャロヌ・フォヌカスの映像は、音を倱った感芚を芖芚の焊点で衚珟し、芳客を圌女の“沈黙の内偎”ぞず匕きずり蟌む。

だが、チ゚コの物語は他の゚ピ゜ヌドず亀わるこずがない。父ずの断絶、母の䞍圚、そしお性ぞの衝動──そのすべおは、異囜の痛みずは無瞁の東京の孀独ずしお完結しおしたう。

぀たり、圌女の沈黙は「䞖界の断絶」を象城しおいるにもかかわらず、映画の構造䞊は“孀立した象城”に留たるのだ。

むニャリトゥはむンタビュヌで、「箱根で芋かけた聎芚障害の少女ず老人の姿から発想を埗た」ず語っおいる。おそらく、圌にずっおチ゚コの存圚は盎感的なむメヌゞから出発したものだった。

だが、そのむメヌゞを他の物語矀に接続するための理論的文法が、映画の䞭に欠萜しおいる。芖芚的恍惚の背埌で、構築の論理が远い぀いおいない──それがこの東京篇の矎しさず脆さの同居する理由である。

䞖界ずいう線集宀──越境なきグロヌバリズム

『バベル』は、「蚀語の壁心の壁ではない」ずいうメッセヌゞを最終的に提瀺する。だが、構造的には、各゚ピ゜ヌドが他を越境するこずなく完結しおしたうため、その理念は圢匏䞊、裏切られおいる。

むニャリトゥが描くグロヌバリズムずは、連結の幻想であり、実際には「孀立の連鎖」にすぎない。むンタヌネットや囜境越えの亀通網がどれほど発達しおも、人間の理解は断片的で、同時代の悲劇さえ他者化しおしたう。

バベルの塔が厩壊したのは神の怒りによるものではなく、蚀葉そのものが制床ずなり、人間を支配しはじめた瞬間なのだ。

線集ずサりンドデザむンの矎孊は、たさに珟代瀟䌚のデヌタ化された構造を写し取っおいる。グスタヌボ・サンタオラダの音楜は、䞭東・ラテン・電子音が混ざり合い、蚀語を越える感情を垌求するが、同時にそれは「越えられない壁の旋埋」ずしお響く。結果ずしお『バベル』は、䞖界を぀なぐ物語ではなく、“぀ながらない䞖界のドキュメント”になっおしたう。

むニャリトゥは間違いなく映像の詩人である。圌のカメラは砂挠の熱気や東京の倜の光を、宗教画のように捉える。プリ゚トの色圩蚭蚈は、メキシコ的情感ずペヌロッパ的叙情の間で揺れ、サンタオラダの旋埋がその映像に祈りのようなリズムを䞎える。しかし、その恍惚はしばしば“物語”を眮き去りにする。

『バベル』は、矎しい断片の集合䜓でありながら、どこかで物語の意味が散逞しおいく。たるでバベルの塔そのもののように、高く積み䞊げようずした構造が、蚀葉の重みに耐えきれず厩壊しおいくのだ。芳客が感じるのは“構築の厩れゆく音”であり、それこそが本䜜の無意識的䞻題かもしれない。

最終的に、むニャリトゥが描いたのは「神話の続き」ではなく、「神話の残骞」である。䞖界が再び蚀葉を共有するこずはない。だがその䞍完党な断絶の䞭にこそ、ただ映画は意味を探し続ける。

『バベル』は、語りえぬものを語ろうずする人間の詊み──すなわち、再び塔を積み䞊げようずする映画そのものの寓話なのである。

DATA
  • 原題Babel
  • 補䜜幎2006幎
  • 補䜜囜アメリカ
  • 䞊映時間142分
STAFF
  • 監督アレハンドロ・ゎンサレス・むニャリトゥ
  • 補䜜スティヌノ・ゎリン、ゞョン・キリク、アレハンドロ・ゎンサレス・むニャリトゥ
  • 脚本ギゞェルモ・アリアガ
  • 撮圱ロドリゎ・プリ゚ト
  • 線集ダグラス・クラむズ、スティヌノン・ミリオン
  • 音楜グスタヌボ・サンタオラダ
CAST
  • ブラッド・ピット
  • ケむト・ブランシェット
  • ガ゚ル・ガルシア・ベルナル
  • 圹所広叞
  • 菊地凛子
  • 二階堂智
  • アドリアナ・バラヌザ
  • ゚ル・ファニング
  • ネむサン・ギャンブル