大林宣彦が変態性を遺憾無く発揮した、原田知世主演のアイドル映画
僕はよく「空から美少女から降ってこないかな」といった世迷い言をのたまう習性があるので、周囲からは完全に変態扱いされているのだが、変態という言葉はむしろ大林宣彦に対して向けられるべきだと思う。
CMディレクターから華麗に映画界に転身を果たしたこの変態監督は、「叙情的なファンタジー作品」というお題目を隠れ蓑にして、過去数十年間ヒットメーカーの名を欲しいままにしてきた。
『転校生』(1982年)に始まって、『さびしんぼう』(1985年)で完結する“尾道三部作”の第二作にあたる本作は、角川春樹の寵愛を受けて、華々しくデビューした原田知世のアイドル映画ではあるものの、大林宣彦はこの作品においても縦横無尽に“オオバヤシイズム”を徹底させている。
別にオオバヤシイズムとは、正面きってエロいという訳ではない。むしろ『時をかける少女』にセクシャルな描写は皆無だ。
というよりも、少女がオトナへと成長していく自然な生理的現象というか、セックスの憧れみたいなものを、物語の本筋とは関係なく唐突に挿入してしまえる独特のセンスにあるんである。
例えば、実験室で倒れた原田知世を、根岸季衣演じる女性教師が介抱したあと、不意に「あの娘、生理…」とつぶやき、その女性教師が去って行く後ろ姿(上半身から下半身にカメラを振っている!)を、岸部一徳がイヤらしい顔つきで凝視するシーン。
このワンカットがあるだけで、隠しテーマの「性への目覚め」が鮮明化し、熟しきらない果実のような、不思議な感覚がたちのぼってくるんである。キャー、やらしー!!
僕的には原田知世の一本調子な演技も、高柳良一の棒読みなセリフ廻しも全然オッケー。彼らの青臭い演技から生成されるニュアンスこそ、この映画の本質にジャスト・マッチしていると思うくらいだ(まあ正直、『桃栗三年柿八年』という意味不明の歌には多少辟易しましたが)。
だが、大林宣彦はその青臭さを青いままでは終わらなせい。『時をかける少女』が青春映画として異色なのは、そのグッド・デイズが過ぎ去ったあとの、「その後」をキッチリ描いてしまっている点にある。
結局、高柳良一に想いを残したまま記憶を消去されてしまった原田知世は、まるで抜け殻のように生気のない、孤独に耽るかのような大人になってしまった。
運命の人と大学院の廊下ですれ違っても、彼女は彼の存在に気づかず、静かに去って行く。本来であれば結ばれていたはずの尾美としのりとも、おそらく彼女は性交渉を持っていないのだろう。
ハッピーエンドとは言い難いこの結末の付け方に、叙情的な作風と言われながらも青春のリアリティー=残酷性はきちんと確保する、大林宣彦の冷徹な眼差しが感じられる。
- 製作年/1983年
- 製作国/日本
- 上映時間/104分
- 監督/大林宣彦
- 製作/角川春樹
- プロデューサー/山田順彦、大林恭子
- 原作/筒井康隆
- 脚本/剣持亘
- 脚色/大林宣彦
- 撮影/阪本善尚
- 音楽/松任谷正隆
- 編集/大林宣彦
- 録音/稲村和己
- 原田知世
- 高柳良一
- 尾美としのり
- 津田ゆかり
- 岸部一徳
- 根岸季衣
- 内藤誠
- 入江若葉
- 上原謙
- 入江たか子
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