清濁併せ飲んだ男の手によって作られた、清濁併せ飲んだフィルム
【思いっきりネタをばらしているので、未見の方はご注意ください。】
As little as possible.
私立探偵ジェイク・ギテス(ジャック・ニコルソン)は、ラストでこうつぶやく。
鳴り続けるクラクション音、少女の絶叫。『チャイナタウン』(1974年)には、フィルム・ノワール的退廃が濃厚に刻印されている。いや、なんぴとたりとも変えることのできない“運命”に翻弄される人間たちの、虚無感に満ちたドラマというべきか。
当初プロデューサーのロバート・エバンスは、ハリウッド快感原則に基づくハッピー・エンドを希望したらしい。しかし、監督を務めたロマン・ポランスキーは頑として聞く耳を持たず、悲劇的なラストを用意した。
チャールズ・マンソン率いるカルト集団の信者によって愛妻を惨殺され、ヨーロッパで療養中だった彼が、わざわざハリウッドに戻ってこの『チャイナタウン』を撮り上げたのは、決して予定調和な物語を構築することではなかった。
アカデミー脚本賞とエドガー賞を受賞したロバート・タウンによるシナリオは、今なおハリウッド映画で最も優れた脚本の一つとしてとして名高い。
確かに、ダム建設技師の不倫問題やら、謎の放水やら、砂漠地帯の土地売買やら、カジキやら、ひとつひとつのピースが、ロサンゼルスの水道利権を巡る陰謀に収斂していく構成は、見事。
だが、観客に問題を整理させる時間的余裕をいっさい与えないため、一回観ただけでは何が何だかよく分からない事態をも招いている。
しかしこれは脚本の問題ではなく、演出の問題というべきだろう。ポランスキーは『チャイナタウン』をサスペンス映画として醸成させるよりも、優先させるべきことがあったのだ。
タイトル・ロールのチャイナタウンは、ジェイクがかつて検事局時代に管轄していた街。圧倒的な華僑のパワーの前に、警察権力すら無効化してしまう場所だ。
エヴリン(フェイ・ダナウェイ)とのピロートークから類推するに、彼は当時愛する女性がいて、何らかの理由で彼女が死に追いやられる事件に遭遇したらしい。
つまりジェイクにとってチャイナタウンは畏避すべき魔窟であり、最大のトラウマなのだ。そんな彼が、事件をきっかけに再びチャイナタウンに舞い戻ることになる。ロマン・ポランスキーが、愛妻シャロン・テートを殺されたアメリカに再び舞い戻ってきたかのように。
最後のセリフ「As little as possible」は、日本語字幕では「怠け者の街だ」と訳されることが多いが、「出来る限り少しのことしかしない=この街では何事も黙殺することが最高の対処法だ」という、諦観めいた言葉として受け止めるべきだろう。この街に、希望はない。
ハリウッドに帰還を果たしたポーランド人監督ポランスキーの目的は、ハードボイルドなクライム・ストーリーを紡ぎ上げることではなく、己の虚無をフィルムに焼き付けること、その一点にあった。かくして清濁併せ飲んだ男の手により、清濁併せ飲んだフィルムは完成したんである。
《補足》
泰然自若とした演技で、黒幕のノア・クロスを演じるジョン・ヒューストンは、かつてフィルム・ノワールの古典的傑作『マルタの鷹』を手がけた、キング・オブ・ハリウッド。
そしてその実娘の女優アンジェリカ・ヒューストンは、当時ジャック・ニコルソンと愛人関係にあった。そんな二人が『チャイナタウン』で共演しているんだから、映画の内容を地でいくような複雑な人間関係なり。
- 原題/Chinatown
- 製作年/1974年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/131分
- 監督/ロマン・ポランスキー
- 製作/ロバート・エバンス、アンドリュー・ブラウンズバーグ、C・O・エリクソン
- 脚本/ロバート・タウン
- 撮影/ジョン・A・アロンゾ
- 美術/リチャード・シルバート
- 衣装/アンシア・シルバート
- 編集/サム・オスティーン
- 音楽/ジェリー・ゴールドスミス
- ジャック・ニコルソン
- フェイ・ダナウェイ
- ジョン・ヒューストン
- バート・ヤング
- ペリー・ロペス
- ジョン・ヒラーマン
- ダレル・ツワリング
- ダイアン・ラッド
- ブルース・グローヴァー
- ロイ・ジェンソン
- リチャード・バカリアン
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