スティーヴン・ソダーバーグが万能型職人であることを証明した群像劇
世の中ナニが分からないって、スティーヴン・ソダーバーグのポテンシャルほど分からないものはない。
『セックスと嘘とビデオテープ』(1989年)で颯爽とデビューを果たし、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。その後も『KAFKA/迷宮の悪夢』(1991年)や『蒼い記憶』(1995年)など、アンチ・ハリウッドな作品を世に送り出し、てっきり“インディーズのフィルムメーカー”として、細々と活動していくものと思い込んでいた。
ところが、『アウト・オブ・サイト』(1998年)で、ハリウッドのメインストリームに突如参入。以降は、キラ星の如きスター達から熱い視線を浴びる“セレブ系映画監督”として活躍しているのはご存知の通りだ。
この『トラフィック』(2000年)でも、インディーズ時代には考えられなかったほどの予算と時間が費やされ、そのぶん製作のプレッシャーも尋常ではなかったようである。
ソダーバーグは「ボク、もうこんな映画撮らないからネ!」と周囲にもらしたとかもらしてないとか、そんな風聞がまことしやかに流れているご様子。
その後、ハリウッドスターが大挙出演した『オーシャンズ11』(2001年)を手がけたことから察するに、スターシステムの作品が嫌いな訳ではなさそう。
最近でも、タルコフスキーの記念碑的SF作品『惑星ソラリス』(1972年)をリメイクしてみせたり、オーシャンとその仲間が12人になって再登場してみたりと、彼のフィルモグラフィーはあいもかわらず予想できないものばかり。
果たして、スティーヴン・ソダーバーグの映画監督としてのアイデンティティーはどこにあるのか?僕には皆目見当がつかないが、ありとあらゆる食材を口当たりのいいメインディッシュに仕立て上げる、万能型職人であることは間違いないようだ。
なるほど、『トラフィック』は映画としてソツがない。巧みなストーリーテリングで、複雑に入り交じった群衆劇を明快なほどに分かりやすく咀嚼してみせる。
たとえば、この作品では3つのストーリーが同時に進行する。汚職警官がはびこる街でベネチオ・デル・トロ演じる州警察官が正義を貫く「メキシコ編」、マイケル・ダグラス演じるDEA(麻薬取締局)長官が、実娘がヤク中になっていることを知らされる「ワシントンD.C.編」、麻薬密売人の夫が警察に拘留されものの、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ演じるその妻がたくましくもその麻薬ルートを拡大していく「サンディエゴ編」。
3つの物語が「麻薬」という一本の糸に収束していく物語は、複雑極まりない。しかしソダーバーグは、「メキシコ編」では粗い粒子の黄色いフィルターを、「ワシントンD.C.編」はブルーのフィルターをかけることによって、カットがジャンプしても観客が物語に迷うことがないように万全の体制を施している。この愚鈍までの分かりやすさが、最大公約数的な観客に対して有効な手段に成り得ているのだ。
てな訳で、映画としては一級の風格と完成度を誇る作品である。点数をつければ10点満点中9点で、その1点もどこで引かれたのかがよく分からんような映画である。だが、この『トラフィック』には観客を魅了するほどの決定的な吸引力に欠ける。
僕には、その原因がどうしてもスティーヴン・ソダーバーグという映画監督の、八方美人的な資質の問題のように思えてしまうのだ。
- 原題/Traffic
- 製作年/2000年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/148分
- 監督/スティーヴン・ソダーバーグ
- 製作/エドワード・ズウィック、マーシャル・ハースコヴィッツ、ローラ・ビックフォード
- 製作総指揮/リチャード・ソロモン、マイク・ニューウェル、キャメロン・ジョーンズ、グラハム・キング、アンドレアス・クライン
- 脚本/スティーヴン・ギャガン
- 撮影/ピーター・アンドリュース
- 音楽/クリフ・マルティネス
- 美術/フィリップ・メッシーナ
- 編集/スティーヴン・ミリオン
- マイケル・ダグラス
- ドン・チードル
- ベニチオ・デル・トロ
- ルイス・ガスマン
- デニス・クエイド
- キャサリン・ゼタ・ジョーンズ
- スティーヴン・バウアー
- ジェイコブ・ヴァルガス
- エリカ・クリステンセン
- クリフトン・コリンズ・ジュニア
- エイミー・アーヴィング
最近のコメント