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2017/10/23

『ビッグ』(1988)ファンタジー映画の装いをまとって描く、現実社会で奮闘する女性たちの姿

『ビッグ』(1988)
映画考察・解説・レビュー

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『ビッグ』(原題:Big/1988)は、ある日突然大人の体になってしまった12歳の少年の戸惑いと成長を描いた、ペニー・マーシャル監督によるファンタジー・コメディである。外見は大人でも心は子供のままの主人公が、玩具業界で成功を収めながらも、真の幸せや大人になることの意味を見出していく姿を温かく映し出す。主演のトム・ハンクスが、少年の純真さを宿した瑞々しい演技を披露し、世界的なスターとしての地位を確立した名作。

スピルバーグのアバター降臨

『ビッグ』(1988年)の脚本を担当したアン・スピルバーグが、あの映画界の帝王スティーヴン・スピルバーグの実妹であるという事実は、本作を単なるファンタジーから、「スピルバーグ家の精神分析」へと昇華させる決定的な鍵だ。

突如30歳の青年に成長してしまった13歳の少年ジョッシュが、玩具メーカーに就職するやいなや、大人には不可能な「コドモならではの発想」を武器にヒット商品を連発。

瞬く間に副社長へと上り詰めるサッセス・ストーリーは、自由奔放なクリエイティビティーだけを燃料にハリウッドを征服した兄スティーヴンの歩みそのものではないか。

当初監督のペニー・マーシャルは、ジョッシュ役にロバート・デ・ニーロを熱望していたという。もしデ・ニーロが演じていれば、それは「大人の体に閉じ込められた少年の苦悩」を描く、よりダークでリアルな映画になっていたはず。しかし、紆余曲折を経て役を射止めたのは、当時コメディ俳優として頭角を現していたトム・ハンクスだった。

このキャスティングこそが、本作を神話へと押し上げた最大の勝因。ハンクスが体現したのは、アメリカという国家が持ち続ける「混じりけのないイノセンス(無垢)」そのもの。

彼は後に『プライベート・ライアン』(1998年)や『ターミナル』(2004年)で、スピルバーグの最も信頼するアバター(分身)として、帝王の抱く「父性と童心」をスクリーンに召喚し続けることになる。

本作を象徴する、あの巨大なピアノの鍵盤を社長と連弾するシーンを思い出してほしい。あれは単なる名場面ではない。堅苦しい会議室(=大人の論理)の真っ只中で、遊び心という名の聖域が勝利を収めるという、スピルバーグ的成功哲学の象徴的儀式なのだ。

ハンクスの弾けるような笑顔は、ビジネスという名の「大人の遊び場」を支配した兄の姿を、妹アンが温かくも鋭い観察眼でフィルムに焼き付けた結果なのである。

『E.T.』を超えた「Stay」の残酷なリアリズム

本作のヒロイン、スーザン(エリザベス・パーキンス)は、ジョッシュの幼児性・無垢性を丸ごと受容する「マザーシップ(母船)」のような存在として登場する。

それは『未知との遭遇』(1977年)において人類を包み込んだあの巨大な光のごとき包容力。しかし、物語が終点へと向かう時、アン・スピルバーグの脚本は兄が描くファンタジーに冷酷なまでの「大人の一線」を引いてみせる。

ジョッシュが「一緒に(子供に戻って)行こう」と差し出した手に対し、スーザンは「できないわ。私はもう経験したから。一度で十分だわ。分かる?」と返す。この台詞の重みは、映画史に刻まれたあらゆる別れの言葉の中でも、突出して残酷かつ高潔だ。

スティーヴン・スピルバーグの傑作『E.T.』(1982年)において、エリオット少年が放った「I can’t(一緒に行けない)」は、慣れ親しんだ地球と家族を守るための、愛ゆえの“Stay”だった。

対して、スーザンの“Stay”は「現実という戦場」で傷つきながら生きてきた、自立した大人の女性としての覚悟。彼女はファンタジーの甘い円環に絡め取られることを拒み、自分が生きるべき厳しい現実を自らの意志で選択する。

ペニー・マーシャル監督もまた、当時の男社会だったハリウッドで女性監督として道を切り拓いていたリアリストであった。彼女たちはスピルバーグ的なる純粋さを愛おしみ、受容はするが、決してそこに同化し、安住することはない。

この「女性側からのファンタジーへの絶縁状」こそが、本作を単なるコメディの枠を超えた、成熟した大人のドラマへと昇華させているのである。

ピーターパン・シンドロームへの鮮やかな異議申し立て

もちろん、「女性の方が男性よりも現実主義者だ」などという、古臭いジェンダー論を語るつもりはない。だが、『ビッグ』を改めて鑑賞して胸を突くのは、ピーターパン・シンドロームから抜けきれない男性的幼児性を「聖域」として祭り上げる、アメリカ映画界への、女性クリエイターたちによる極めてインテリジェンスな異議申し立てだ。

本作はファンタジーという華やかな皮を被りながら、その実、汚れのない少年を愛しながらも、自らは戦場のようなビジネス社会で奮闘し続ける女性たちの「孤独な誇り」を逆照射している。

彼女たちの視線は、無垢なまま成功していくジョッシュを温かく見守りながらも、その先にある「時間の暴力」を冷徹に見据えているのだ。

その視線の鋭さと優しさが結晶化したのが、僕が本作で最も愛するシーン――二人がダンスをしている最中、ジョッシュが「告白することがあるんだ」と切り出し、スーザンが「なあに?」と聞き返す瞬間のエリザベス・パーキンスのバスト・ショットである。

ペニー・マーシャルはこのシーンの撮影にあたり、エリザベスに過剰な演技を一切禁じ、「ただトムを見て、心の底から湧き上がる反応だけを見せて」と伝えたという。

その結果映し出された彼女の表情は、打算も防衛本能も剥ぎ取られた、驚くほど無垢で、かつ壊れそうなほどにきらめいている。この「一瞬の真実」を、単なるロマンスの添え物ではなく、物語の最重要部として切り取れるのは、やはり男性監督の支配的な視点ではなく、女性監督ならではの深い洞察があったからだと言わざるを得ない。

本作は、永遠に子供のままでいようとする男たちを、現実の地平から静かに、しかし力強く見送る「大人の女性」たちの讃歌なのである。

FILMOGRAPHY