サプライズだけの直感的ショック描写に陥ってしまったパニック・ムービー
この作品を語る前に、「サプライズ」と「サスペンス」の違いについて言及しておきたいと思う。ヒッチコック先生によれば、両者の違いは「事前に情報を観客に与えているかどうか」である。
例えばテーブルに向き合った二人がとりとめのない会話をしていて、突然テーブルの下に隠されていた爆弾が爆発したとしよう。突然の出来事に観客はビックリ仰天。まさに不意を突かれた形になる訳で、これがサプライズである。
さて、 同じシチュエーションでも、観客には1時ちょうどに爆弾が爆発することを情報として与えておいて、現在の時間が1時10分前であることを提示するショトを挿入したら、どうなるか。
こうなると二人の陳腐な会話も、観客にとっては一分一秒が緊張の連続となる。観客の興味は「いつ登場人物たちがテーブルの下の爆弾に気が付くか」に集中するからだ。これがサスペンス。
ヒッチコックのフィルムメーカーとしての真骨頂は、このサスペンス描写の巧みさにある。あらゆる手管を使って観客の心理をコントロールするこのオヤジは、情報操作の名人なのだ。
ヒッチコックのフィルモグラフィーの中でも傑作の呼び声の高い『鳥』は、個人的にはもっともヒッチコックらしからぬ映画のひとつである。
しかし『鳥』(1963)はサスペンス映画に非ず。「サプライズ」によってストーリーが牽引される、スピルバーグの『激突!』(1971)や『ジョーズ』(1974)と同系統のパニック映画である。
鳥瞰でとらえた町の全景ショットからゆっくりと鳥たちが降下していくシーンなど、所々にヒッチ先生らしい魅惑的なショットもあるにはあるが、全体としては実に散漫な印象。実験的な試みであるエレクトロニック・サウンドも、映画的にあまり効果的とは思えない。
サスペンス映画としての面白さではなく、サプライズだけの直感的なショック描写に陥ってしまったことが、この映画の最大の弱点だ。
人間ドラマのシークエンスもどーにも水マシ気味。特に女教師のアニーという役にはドラマ上の必然性が感じられないこと甚だしい。
ヒッチコックが自身語っているように、別れた恋人の側にいられるというだけで鄙びた漁村に住んでいる彼女は、「死を宣告された人間」なのである。彼女はまるで「死ぬ」ためだけに出てきたかのようなキャラクターであって、その出演シーンは退屈極まりなし。
ヒロインに大抜擢したティッピ・ヘドレンに、すっかりゾッコンとなったヒッチ先生が、毎日のように花を彼女に贈り続け、しまいには越権行為で性交渉まで迫ったという変態エピソードも有名なこの作品。
無数の鳥たちが美しいティッピ嬢に襲いかかるシーンには、フラレたヒッチコックのサディスティックな憎悪すら感じられる。そういう意味で、たしかにこのシーンには鬼気迫るものを感じないではないんだが。
- 原題/The Birds
- 製作年/1963年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/120分
- 監督/アルフレッド・ヒッチコック
- 製作/アルフレッド・ヒッチコック
- 脚本/エヴァン・ハンター
- 音楽/バーナード・ハーマン
- 原作/ダフネ・デュ・モーリア
- 撮影/ロバート・バークス
- 音楽/レミ・ガスマン、オスカー・サラ
- ロッド・テイラー
- ティッピ・ヘドレン
- ジェシカ・タンディ
- スザンヌ・プレシェット
- ヴェロニカ・カートライト
- エセル・グリフィス
- チャールズ・マグロー
- ジョー・マンテル
- マルコム・アタベリー
最近のコメント