TAKESHI’S/北野武

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「力を行使する者」の愉悦と苦悩がワンパッケージされた、極めて誠実なフィルム

『TAKESHI’S』(2005年)を観終わったあと何故か僕の脳裏に浮かんだのは、ラース・フォン・トリアーの怪作『ドッグヴィル』(2003年)で、マフィアの首領演じるジェームズ・カーンがニコール・キッドマンに言い放つ「力は行使されるべきものだ」というセリフである。

圧倒的パワーを持つ者がそれに目を背けることは大いなる欺瞞であり、むしろ傲慢ですらあるという文脈であったが、それはまさに北野武という一個人が抱えてきた内面的問題そのものではないか。

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『ドッグヴィル』(ラース・フォン・トリアー)

言ってしまえば映画芸術なんてものは、個人の妄想を可視化させる装置にしかすぎない。しかし一本のフィルムを製作するには、当然のごとく大掛かりなスタッフとキャスト、そして莫大なマネーが必要となる。妄想の可視化とは「力を行使する者」のみに与えられた特権だ。

北野武は自分が“ビートたけし”であるからこそ、清純派女優の京野ことみをヌードにさせたり、ラーメン屋の主人をゾマホンにしちゃったり、ラーメン屋でナポリタンを注文することが可能になっちゃったりするんである。それは映画内映画というメタ的な意味あいではなく、現実レベルにおいての特権性だ。

映画スターとして確個たる地位を築いている“カリスマ”ビートたけしと、しがないコンビニ店員の“北野武”。それは「力を行使する者」と「力を行使される者」との鮮やかな対照であり、彼自身に内在する二つの人格の投影だ。

ピストルを手に入れたことで、「力を行使される者」の北野武は「力を行使する者」に覚醒し、やがてビートたけしを刺殺する。このシークエンスには、作家的苦悩というよりも、生涯ビートたけしとして生を全うせねばなならない、

彼自身の煩悶がそのまま焼き付いている。おそらく北野武ほど、国民的スターであるビートたけしという存在の虚構性に自覚的な人間はいない。

彼の中に潜む「力を行使する者=ビートたけし」への懐疑は、本編において岸本加世子演じる謎の女に委託される。

しがないコンビニ店員の”北野武”が、オーディションを受けたり、強盗として銀行に押し入ったりして、「力を行使される者」から「力を行使する者」に変貌を遂げようとするたびに、彼女は茶々を入れて邪魔をする。岸本加世子はいわばバランサーとして、ビートたけしと北野武との共存を助けているのだ。

北野武の内的葛藤をそのまま追体験できる『TAKESHI’S』は、さしずめ『マルコヴィッチの穴』(1999年)ならぬ『キタノの穴』とも形容すべきフィルムだ。

しかしこの作品は、彼自身がフィルムメーカーとして、そして何よりも自分が“ビートたけし”であるということを再確認するために、作られなければならなかった。

ある意味、究極のプライベート・フィルムとして製作された本作が、商業作品としてマーケットに流通され、世界中のキタニストに感銘を与え、映画祭に招待されてしまう現実にも、ひょっとしたら北野武はどこか非現実的な虚構性を感じているのかもしれないが。

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『マルコヴィッチの穴』(スパイク・ジョーンズ)

『TAKESHI’S』は、「力を行使する者」の愉悦と苦悩がワンパッケージされた、極めて誠実なフィルムである。ここには何一つ難解さは存在しない。あるのは、ありとあらゆるものは可視化されるという、映画的特権性のみだ。

DATA
  • 製作年/2005年
  • 製作国/日本
  • 上映時間/107分
STAFF
  • 監督/北野武
  • 脚本/北野武
  • プロデューサー/森昌行、吉田多喜男
  • 撮影/柳島克己
  • 音楽/NAGI
  • 音楽プロデューサー/野田美佐子
  • 美術/磯田典宏
  • 編集/北野武、太田義則
  • 衣装/山本耀司
  • 録音/山堀内戦治
CAST
  • ビートたけし
  • 京野ことみ
  • 岸本加世子
  • 大杉漣
  • 寺島進
  • 渡辺哲
  • 美輪明宏
  • 六平直政
  • ビートきよし
  • 津田寛治

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