イギリス前首相のアダム・ラング(ピアース・ブロスナン)に、「君は誰だね?」と尋ねられると、ユアン・マクレガーは「わたしは、あなたのゴーストです」とウィットに富んだ返答をする。
額面通り解釈すれば、大英帝国の元最高権力者の自叙伝のために雇われた、ゴーストライターという意味なのだが、ちょっと深読みすると、「自分は存在していない男です」という自己表明のような気もしてくる。
よくよく考えてみれば、『ゴーストライター』の主人公は、一度もその名前が呼ばれることがない。さらに言えば、彼のパーソナリティーに関する情報すら、観客にはいっさい開示されない。
名前のない男=ゴーストが、ヒッチコック的な巻き込まれ型サスペンスの渦中の人となり、命をおびやかされるハメになるのを、我々はただじっとスクリーンで目撃するのみなんである。
原作は、政治評論家としても知られるロバート・ハリスが、2007年に発表した同名小説(余談だが、彼の義兄弟にあたるニック・ホーンビィも、『ハイ・フィデリティ』、『アバウト・ア・ボーイ』を手がけた小説家だ)。
物語はロンドンを出発点にしてアメリカ東海岸の孤島が舞台になるんだが、どーにも地理感がいまひとつ掴めない(ニューヨークのJFK空港から近い設定っぽいが)。四六時中雨が降っていて、常に灰色の曇天模様だもんで、地形すらよく分からない。
どこでもない場所の、誰でもない男の物語。映画は余計なリアリティーを削ぎ落とし、純然たるサスペンスのみを増幅させてドラマは進行していく。
ゴーストライターとしての好奇心なのか、人並みはずれた嗅覚ゆえかは分からないが、ユアン・アクレガーは余計なことに首を突っ込んで、確実に身を滅ぼしていく。映画の駆動力に理由などいらぬ!というこの割り切りぶり。
マクレガーが前任のゴーストライターの死を調査するときも、わざわざ車を出しましょうか、という申し出を断って、なぜか自転車で出かける。
なぜなら、曇天模様の空のもと、黒いジャケットに身を包んで自転車にまたがるユアン・マクレガーの絵が、ただただフォトジェニックだからだ。映画のビジュアルに理由などいらぬ!
この映画には、大上段に構えたテーマもなければ、真摯なメッセージもない。一切の意味性は削ぎ落とされている。
『ゴーストライター』は、映画作家として円熟の境地にあるロマン・ポランスキーの、ワインのように熟成された老練な語りを心行くまで満喫すべき作品なのであり、いわば『ロマン・ポランスキーのすべらない話』みたいなもんなんである。
それはひょっとしたら、故郷喪失者であるロマン・ポランスキーだからこそ、到達できた境地なのかもしれない。
- 原題/The Ghost Writer
- 製作年/2010年
- 製作国/フランス、ドイツ、イギリス
- 上映時間/124分
- 監督/ロマン・ポランスキー
- 製作/ロマン・ポランスキー、ロベール・ベンムッサ、アラン・サルド
- 製作総指揮/ヘニング・モルフェンター
- 原作/ロバート・ハリス
- 脚本/ロバート・ハリス、ロマン・ポランスキー
- 撮影/パヴェル・エデルマン
- 衣装/ダイナ・コリン
- 編集/エルヴェ・ド・ルーズ
- 音楽/アレクサンドル・デスプラ
- ユアン・マクレガー
- ピアース・ブロスナン
- キム・キャトラル
- オリヴィア・ウィリアムズ
- トム・ウィルキンソン
- ティモシー・ハットン
- ジョン・バーンサル
- デヴィッド・リントール
- ロバート・パフ
- ジェームズ・ベルーシ
- イーライ・ウォラック
最近のコメント