『ピンポン』(2002年/曽利文彦)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『ピンポン』は、曽利文彦が監督を務めたスポーツ映画。片瀬高校卓球部に所属するペコは、幼少期から「この星の一等賞」になることを疑わない天才肌のプレイヤーだが、ある日、中国からの留学生チャイナに完敗し、さらに幼馴染のスマイルにも実力で抜かれたことに衝撃を受け、ラケットを置いて卓球から離れてしまう。一方、感情を表に出さないスマイルは、コーチの小泉にその才能を見出され、厳しい特訓を経てインターハイ予選で頭角を現していく。挫折の中で自分を見つめ直したペコは、かつての恩師であるオババのもとで猛特訓を開始し、膝の怪我を抱えながらも不屈の精神で再びインターハイの舞台へと戻ってくる。
- 第76回キネマ旬報(日本映画):第9位
- 第57回毎日映画コンクール:技術賞、スポニチグランプリ新人賞
- 第45回ブルーリボン賞:新人賞
- 2002年度映画秘宝:第7位
CG卓球革命
スペイン坂の中腹に位置する劇場、シネマライズ。そこから吐き出されてきた若者たちが、映画の熱に浮かされたまま渋谷卓球場へと向かっていく。そんなにわかピンポン小僧たちの群れを見るたびに、僕は心のなかでひっそりと毒づいていた。
なめんなよ、若僧ども!こちとら中坊時代に3年間、みっちり卓球部に所属した男よ。年季が違うんだよ、年季が!!
まあ、実際の僕の中学卓球部生活といえば、松本大洋が描くような才能がぶつかり合うストイックなものではなく、どちらかといえば古谷実のギャグマンガ『行け!稲中卓球部』(1993年)の世界観に限りなく近い、不毛で泥臭く、思春期のルサンチマンをラケットにぶつけるだけのノリだったわけだが。
そもそも卓球というマイナーな室内スポーツを映像化するのは、極めて難しい。フィールドが極端に狭く、動きのスケールが小さいうえに、選手の表情も台を挟んで固定されがちだ。
だからこそ、従来のスポーツ映画では試合そのもののカタルシスを描くことを半ば放棄し、内面の叫びをモノローグにして映像に被せるような、静的な心理描写に力点を置くのが定石だった。
しかし、『ピンポン』(2002年)で長編映画の監督デビューを果たした曽利文彦は、その古びた文法を根底から覆してみせた。映画『タイタニック』(1997年)のVFXチームに参加していた経歴を持つ彼は、地味な卓球の試合を抑え気味のCGによって、スピードとドライヴ感に満ち溢れた映像スペクタクルへと変貌させてしまったのである。
ピンポン球の軌道が空間を鋭く切り裂き、選手たちの極限の反射神経が、スローモーションとハイスピードの交錯によって視覚的に拡張される。
モノローグに頼るのではなく、チャンと映像そのものが物語を牽引し、観客の視覚をジャック。実写の生々しさとデジタル処理のハイブリッドが生み出す視覚的快楽こそが、極上のエンターテインメントへと押し上げた最大の要因だ。あのシネマライズの熱狂は、卓球映画が「クールなポップカルチャー」へと昇華された歴史的瞬間でもあったのだ。
無敵の布陣が仕掛けた罠
主演を務めるのは、当時若者のカリスマとして君臨していた窪塚洋介。彼が演じる主人公のペコは、天真爛漫で天才肌、常に他者を食って掛かるような超然としたキャラクターだ。
正直に言わせてもらえば、当時の窪塚の「ワンパターンなトリックスター的芝居」には、いささか食傷気味だった。もちろん、ペコというキャラクターの現実離れした天才という設定ゆえの演出だということは十分に理解できる。しかし、僕の目にはそれがひたすら表層的な演技の連続にしか見えず、心の奥底にあるはずの揺らぎが感じられなかったのだ。
松本大洋の原作マンガでは、あの独特の荒々しくも繊細な描線の行間に、ペコとスマイル(井浦新)の心の逡巡や、絶望、そして再生に向かう泥臭い感情が濃密に凝縮されていた。
スマイルがペコの中に見たヒーローという心象的風景。それは、血を吐くような挫折の果てにようやく立ち上がる、泥まみれの救世主の姿だったはず。
しかし映画版では、そのヒーローという概念が、宮藤官九郎の巧みなセリフ回しや演出によって言葉として明確に提示されてはいるものの、肝心の体温としてこちらに伝わってこない。
それを象徴するのが、スポ根モノの絶対的なお約束であるはずの特訓シーン。通常なら汗と涙と泥にまみれるはずのこのシークエンスが、本作ではウェット感から完全にかけ離れている。
窪塚の超然とした軽やかさと、井浦の徹底して無機質な佇まい。そこにスーパーカーが提供した主題歌「YUMEGIWA LAST BOY」をはじめとするエレクトロニカ・テイストのテクノ・ポップが被さることで、ベトベトした湿度や汗の匂いが真空パックされる。
映像と音楽の親和性としては極めてスタイリッシュで美しいが、そこには人間臭い熱がない。まあ、スマイル自身が「血から鉄の味がする」と語る映画なのだから、その冷たさやドライさこそが、監督の狙い通りのテクスチャだったのかもしれないが、原作ファンとしては一抹の寂しさを覚える部分でもあった。
凡人にしか見えない風景
そんなマンガチックにデフォルメされた天才たちの競演のなかで、一人だけ異次元の体温を放ち、僕の心を鷲掴みにした男がいる。大倉孝二が演じたアクマだ。
ペコやスマイル、そして孤高の絶対王者・ドラゴン(中村獅童)といった超人的な才能に取り残され、努力だけでは絶対に埋められない残酷な壁にぶち当たる男。
彼が劇中で、涙と鼻水にまみれながら絞り出すように吐き捨てる「凡人にしか見えない風景もあるんだよ」という名セリフは、この映画の中で最もかなしく、そして最も「ニンゲン」の血が通った切実な叫びである。
圧倒的な才能の前で無惨に敗れ去り、卓球への未練を断ち切ってドロップアウトしていくアクマ。しかし、彼の物語はそこで終わらない。挫折を知る者だからこそ、ペコの堕落を誰よりも許せず、彼を再び卓球台へと引き戻す重要な起爆剤となる。
監督自身も最も思い入れが深かったキャラクターだと語っているらしいが、僕も完全に同感。天才たちの遊戯を眺めるしかない観客と、最も近い等身大のレベルで絶望を知る彼が、中盤から物語の精神的な支柱として牽引してくれるおかげで、途中から映画はグンと人間臭い体温を帯びてくる。
アクマの存在がなければ、この映画は単なる「天才たちのスタイリッシュなCG博覧会」で終わってしまっていたかもしれない。才能のなさに絶望し、それでも他者の背中を全力で押すアクマの姿にこそ、僕たちは真の「スポ根のカタルシス」を見出すのだ。
ちなみに、どーでもいいことだが、傷ついたペコを裏から支え、鍛え直すタムラのオバチャンを演じた夏木マリの存在感も強烈極まりなかった。
タバコを吹かしながら若者たちを睥睨し、愛の鞭を振るうその姿が、僕には『千と千尋の神隠し』(2001年)に登場する銭婆にみえて仕方がなかった。
結果として『ピンポン』は、渋谷のミニシアター系作品としては異例中の異例であるブロックバスターへと成長を遂げた。2000年代初頭の日本映画界において、映像表現の革新とサブカルチャー的な空気感を完璧に融合させた本作の功績は計り知れない。
CGによる視覚的拡張と、スーパーカーのビート、そして何よりアクマが流した凡人の涙。これらが奇跡的なバランスで同居した本作は、僕の稲中的な不毛な卓球部の記憶すらも、少しだけカッコいい青春の1ページに上書きしてくれた。
- ピンポン(2002年/日本)
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