シベールの日曜日/セルジュ・ブールギニョン

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基本的に、僕は子供が出てくる映画が嫌いである。

なぜ子供が出てくる映画が嫌いかといえば、子供が嫌いだからである。なぜ子供が嫌いかといえば、わがままで、自己中心的で、分別がなくて、嘘つきで、浅はかで、狡猾で、子供じみているからである。

まあ要するに、僕がオトナとしての許容度が皆無である、ということなのだけれど。だもんで、子供のいたいけな可愛らしさにフォーカスしたヒューマン・ドラマなんかを観させられると、とにかく全身がムズがゆくなる。

30歳男と12歳の少女の心の交流を描いた『シベールの日曜日』も、確実に嫌悪感を示すはずの作品だったのだが、見事に裏切られた。

まずこの映画はヒューマン・ドラマではない。この映画のレビューをWEB上でいろいろ検索してみると、「一見ロリコン映画のように見えるかもしれないが」というような注釈をいくつか散見したのだが、「のように」ではなく、確実にコレはロリコン・ムービーである。

主人公のピエールは、インドシナ戦線で戦闘機を操縦中に一人の少女を殺害してしまい、そのショックから記憶喪失になってしまう。

恋人アントワーヌの献身的も愛情を受容できず、記憶の空白を埋められない日々を送っていた彼は、“フランソワーズ”という少女と出会うことによって、少しずつ心の澱を溶かしていく…。

と書くと、叙情的な物語を想像してしまうが(実際そうなのだけれど)、ロリコン映画を作動させるための装置としてかのような設定は存在するのであり、逆に言えばそれ故に『シベールの日曜日』は何かしら奇妙で特異なフォルムを露出しているんである。

たとえばリュック・ベッソンの『レオン』においては、ジャン・レノ=《大人だが精神的には子供》、ナタリー・ポートマン=《子供だが精神的には大人》という、明白な倒錯が伺える関係性があった。

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『レオン』(リュック・ベッソン)

一方の『シベールの日曜日』は、ピエール=《大人だが精神的には子供》、“フランソワーズ”=《子供》という、関係性に還元される。

それでは単なる子供同士の恋愛ごっこなのだが、フランソワーズ”が秘匿していた自分の本名「シベール」をピエールに与えることによって、暗喩的に婚姻関係が結ばれ、突如リアルな恋愛が形作られる。

ナボコフの原作をキューブリックが監督した『ロリータ』がセクシュアリティーを全面に押し出していたのに対し、アンリ・ドカエによる水墨画のように端正なモノクローム撮影、モーリス・ジャールによるナイーブで慎ましやかな音楽も相まって、『シベールの日曜日』は、あくまで幻想的なお伽噺としての骨格を保っている。

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『ロリータ』(スタンリー・キューブリック)

だが、ピエールが“フランソワーズ”と一緒に鬼ごっこをしていた少年を殴り倒すというトンでもないシーンに顕著なように、その愛情表現は愚鈍なほど実直に描かれ、その実直さがお伽噺の幻想性を叩き壊してしまう。

湖に広がる波紋を契機として二人は“わたしたちだけのおうち”に入り、世界と断絶された空間と時間を満喫する。閉鎖性とはまさに恋愛の特質にほかならない。

かくして物語はロリコン・ムービーとして絶対的な強度を得て、なんぴとたりとも侵犯できない、ウィアードな世界を創り上げるのだ。

DATA
  • 原題/Cybele ou les Dimanches de Ville d’Avray
  • 製作年/1962年
  • 製作国/フランス
  • 上映時間/110分
STAFF
  • 監督/セルジュ・ブールギニョン
  • 原作/ベルナール・エシャスリオー
  • 脚色/セルジュ・ブールギニョン、アントワーヌ・チュダル
  • 撮影/アンリ・ドカエ
  • 美術/ベルナール・エヴァン
  • 音楽/モーリス・ジャール
CAST
  • ハーディ・クリューガー
  • パトリシア・ゴッジ
  • ニコール・クールセル
  • ダニエル・イヴェルネル

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