『ピアニストを撃て』(1959年/フランソワ・トリュフォー)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『ピアニストを撃て』(原題:Tirez sur le pianiste/1960年)は、デイヴィッド・グーディスの犯罪小説を原作とし、フランソワ・トリュフォーが監督を務めた映画作品。かつてエドゥアール・サローヤン(シャルル・アズナヴール)として名声を得ていた世界的ピアニストが、妻の自殺を機に表舞台から姿を消し、シャルリ・コレールと名乗ってパリの場末の酒場で生活する。ギャングとのトラブルから逃れてきた兄シコ(アルベール・レミ)が酒場に現れたことで、シャルリやウェイトレスのレナ(マリー・デュボワ)が事件に巻き込まれる。
- 第37回キネマ旬報(外国映画):第9位
- 1960年度カイエ・デュ・シネマ:第4位
物語
アメリカの暗黒小説家デイビッド・グーディスの『ピアニストを撃て』(1960年)を原作としながらも、舞台をパリに移し、みずみずしい感覚で解体・再構築した本作。
主人公は、酒場のしがないピアノ弾き、シャルリ・コレール。彼はかつてエドゥアール・サローヤンという名を馳せた天才ピアニストだったが、自身の成功と引き換えに妻が身を投じたという過去を持つ。妻の自殺を機に、彼は栄光のステージと過去の自分自身から完全に決別したのだった。
やがて酒場のウェイトレス・レナと心通わすようになったシャルリだったが、運命は彼をそっとしておいてはくれない。やくざ者である兄シコのいざこざからギャングの2人組に目をつけられ、逃亡劇の果てに銃撃戦に巻き込まれたレナは、無情にも雪山で絶命する。
そしてまたいつものように、酒場に戻り無表情に鍵盤を叩き続けるシャルリ。過去から逃れられない男の業と、アメリカン・フィルム・ノワール特有の逃れられない宿命観が、雪の白さとともに鮮烈な印象を残す終幕である。
構造
『ピアニストを撃て』は、底知れぬ虚無感に包まれながらも、ウィットと実験精神に富んだ映画だ。
諦観をオフビートに演出したって、そこには絶望しかないはずなのだが、フランソワ・トリュフォーはこの悲劇的な物語にありったけのエスプリをまぶし、奇跡的な化学反応を引き出している。
当時のフランス映画界にはびこっていた「伝統の質(重厚だが型にはまった作風)」への反逆として、彼はジャンルの定石をことごとく破壊していく。
たとえば、ギャングの一人が「自分がもし嘘をついていたら、母親が卒倒するだろうよ!」と啖呵を切った直後、見知らぬ老婆がホントに卒倒するコミカルなシーンを唐突にインサートさせてみたり。あるいは、金でシャルリとレナの住所を売った酒場の主人の密告シーンを、画面を分割するスプリット・スクリーンで見せてみたり。
悲劇と喜劇、スリラーとロマンスがシームレスに入れ替わる、型破りな演出の連続。ルールに縛られない自由な映画作りの喜びが画面から溢れ出している。うーん、トレビアン。
構造2
熱烈なヒッチコキアン(アルフレッド・ヒッチコックのファン)だったトリュフォー。のちに名著『映画術』(1966年)を世に送り出す彼は、敬愛するサスペンスの巨匠の持論でもあった「セリフに頼るのではなく、純粋な映像の連鎖で観客に理解させる」という演出理論に対しても極めて忠実だった。
その好例が、シャルリが興行師シュミールに誘われて音楽事務所に向かうシーンだ。シャルリがドアを開けて中に入ると同時に、カメラは事務所から出て来たバイオリニストの女性を滑らかに追う(撮影はヌーヴェルヴァーグを支えた名手ラウール・クタール)。
漏れ聞こえてくるシャルリのピアノの旋律。思わず立ち止まり、その音色にハッと聞き入る女性の表情。たったこれだけで、シャルリがいかに卓越した才能の持ち主であるかを、一切のセリフ抜きで明快に表現している。
また、僕がこの映画で最も好きなシーンは、酒場で給仕らしきヒゲ男(ボビィ・ラポワント)が、珍妙な歌を歌うシーンだ。
アバニーとフランソワーズ 悩ましいおっぱいだ
貧弱な胸を 豊かにしようと 整形手術を試みた
知る人ぞ知る 彼女の秘密 美乳と離乳は微妙な差
美容院か 病院か
胸と金のない人はお断り
ジョルジュ・ドルリューによる流麗でメランコリックな劇伴音楽と、こうしたナンセンス極まりない楽曲の唐突なコントラストが、作品の予測不能な魅力をさらに底上げしている。うーん、何度聞いてもいい歌だなあ。
男
主人公のピアニスト、シャルリ・コレールを演じるのはシャルル・アズナヴール。『機動戦士ガンダム』(1979年)の“赤い彗星”こと、シャア・アズナブルの名前の元ネタとも言われている、世界的に有名なシャンソン歌手である。
トリュフォーは彼の持つ独特の憂いと哀愁漂う佇まいに惚れ込み、この孤独なアンチヒーロー役に抜擢した。臆病で小心者な小男を演じるアズナヴールは、驚くほど監督本人とクリソツだ。
実際のトリュフォーは、女性の手を握ったり腰に手を回すこともできないようなオクテではなかっただろうが(むしろ恋多き男として知られる)、映画狂としての内向性や、社会に対するコンプレックスを投影したキャラクターであることは確かだ。
シャルリがギャングに対してボソボソと語る女性観や、愛に対する不器用な態度は、トリュフォー自身の屈折したロマンチシズムの吐露なのかもしれない。
女
運命に翻弄されるシャルリに近付く女性たちは、彼の背負う「業」に巻き込まれ、男たち以上に悲惨な運命にさらされることになる。
ニコル・ベルジェ演じる妻のテレザは、夫シャルリの成功のために興行師に身体を売り、それを彼に告白した末に、絶望と罪悪感から投身自殺を図る。
一方、マリー・デュボワ演じる気の強いレナは、シャルリを深く愛し、彼を過去の呪縛から救い出そうと果敢に奔走するが、あっけなく雪の斜面で流れ弾に当たって命を落としてしまう。
トリュフォー作品において、女性はしばしば男性を導くミューズとして美しく描かれる一方で、男たちの身勝手さや不甲斐なさの犠牲者として消費されてしまう。
ラスト、酒場では新しいウェイトレスが紹介されるが、観客はそこに不吉な影を嗅ぎとり、やがて繰り返されるであろう新たな悲劇を予感させられる。そしてそんな自覚の一切無いシャルリは、何も変わらぬまま、今日も酒場で感情を押し殺してピアノを弾き続けるのだ。
この逃げ場のない円環構造こそが、本作の真の恐ろしさなのだ。
FIN
参考文献・出典
- 監督/フランソワ・トリュフォー
- 脚本/フランソワ・トリュフォー、マルセル・ムーシー
- 製作/ピエール・ブロンベルジェ
- 原作/デヴィッド・グーディス
- 撮影/ラウール・クタール
- 音楽/ジャン・コンスタンタン
- 編集/クラウディヌ・ブーシェ、セシール・デクギス
- ピアニストを撃て(1959年/フランス)
- 大人は判ってくれない(1959年/フランス)
- 突然炎のごとく(1962年/フランス)
- 華氏451(1966年/イギリス)
- 夜霧の恋人たち(1968年/フランス)
- 黒衣の花嫁(1968年/フランス、イタリア)
- 終電車(1980年/フランス)
- 隣の女(1981年/フランス)
- 日曜日が待ち遠しい!(1982年/フランス)
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