芥川賞受賞作家にして、川上未映子ハズバンドである阿部和重は、映画評論集『映画覚書Vol.1』において、生死の境に絶えず自らを置くクリント・イーストウッドの肉体を、“幽霊化”という言葉で表すと共に、「イーストウッドはいつも墓場から世界を見つめている」と指摘している。
曰く、彼が演じるキャラクターは「初めから結束と勝利の彼岸に立っている」のであり、「生きているのか死んでいるのかすら判らない」のだ。
なるほど、『荒野の用心棒』におけるイーストウッドもまた、死界から遣わされた使者のごとき様相を呈している。
ポンチョに身を纏ったこの無口なガンマンが、ニューメキシコの小さな町サン・ミゲルに忽然と姿を現すやいなや、鐘つき男に
あんたは金が目当ての拳銃使いかね?また殺されるか。そしてまた葬式の鐘の準備だ
と声をかけられ、酒場の親父には、「あいつはあんたの棺桶を作っている。ここを出て行ったほうがいい。ここは墓場の町だ」と言われる始末。
はたまた、集団墓地で保安官の死体を掘り起こすという、罰当たりな作業に黙々と打ち込んでいると、
お前さんには墓場がお似合いだ
というセリフを親父に投げかけられる。善悪の彼岸ではなく、生死の彼岸に立っている彼にとっては、アンチモラルな振る舞いなどたいした問題ではないのだろう。
イーストウッドは“墓場の町”で悪魔のごとき知謀をはりめぐらし、町にはびこる疫病神を一掃せんと企む。
イーストウッド映画では十八番ともいえるリンチシーンで、己の肉体を限界MAXまで傷つけたあと、彼は街からの脱出のため、棺桶のなかにその身体を沈める(もちろんこれは原典である『用心棒』(1961年)からの流用なのだが)。
それは、彼が半死半生であることの証明ではなく、ゴーストであることを誇示せんとする行為だ。『荒野の用心棒』とは、クリント・イーストウッドの“幽霊化”した肉体が躍動する映画なんである。
そもそも、かの淀川長治が名付け親と言われる「マカロニ・ウェスタン」というジャンル自体が、“幽霊化”したカテゴリ。アメリカで一度死んだはずの西部劇が、異国イタリアで風変わりな形で復活を果たした。
そんなマカロニ・ウェスタンの代表作が、セルジオ・レオーネによるこの『荒野の用心棒』。黒澤明の許可をいっさいとらずに『用心棒』を換骨奪胎してしまった本作には、しかしながら原典にはない乾いた死の匂いが充満している。
全ては、イーストウッドの“幽霊化”した身体から発せられているんである。
- 原題/Per un pugno di dollari
- 製作年/1964年
- 製作国/イタリア
- 上映時間/96分
- 監督/セルジオ・レオーネ
- 脚本/セルジオ・レオーネ、ドゥッチオ・テッサリ、ヴィクトル・A・カテナ、ハイメ・コマス
- 撮影/ジャック・ダルマース
- 美術/チャールズ・シモンズ
- 音楽/エンニオ・モリコーネ
- クリント・イーストウッド
- ジャン・マリア・ヴォロンテ
- マリアンネ・コッホ
- ヨゼフ・エッガー
- マルガリータ・ロサーノ
- ジョン・ウェルズ
- マリオ・ブレガ
- ヴォルフガング・ルクシー
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