ゆっくりとカトリーヌ・ドヌーブが狂気に蝕まれていく、生理的恐怖
ヒッチコックがあらゆるテクニックを駆使して恐怖を描き上げた監督とするなら、ポランスキーは自らが内包している恐怖が映画に滲み出てしまう監督である。
母国ポーランドでユダヤ人として生まれ、家族と共に強制収容所に収容されていた体験を持つポランスキーには、生理的な部分で「死」に対する恐怖が深く刻み込まれている。
何てったって彼は、妊娠中だった愛妻シャロン・テートがマンソン・ファミリーによって惨殺される、という悲劇に遭遇しているのだ。その胎内からは、血に染まった胎児が露出していたという。どのような職人監督が技巧の限りを尽しても辿り着けないような境地に、彼は行き着いてしまっているんである。
そんなポランスキーだから、異常心理を扱ったサイコ映画にかけては人後に落ちない力量を発揮する。「病的なほどに禁欲的で、しかも男性恐怖症」という主人公キャロル(カトリーヌ・ドヌーブ)は、まさに格好の例だろう。
ボーイフレンドからキスをされても、「不潔なもの」として何度も唇をぬぐう。常に落ち着かない様子で、爪を噛んだり鼻をこすったりする。
毎晩のように男を部屋に招き入れて快楽にふける姉ヘレンをうとましく思い、やがて沸き上がってくる「性への欲望」を抑圧させようとして次第に精神のバランスを崩していく(実生活においても、1歳年上の姉フランソワーズ・ドルレアックの存在がドヌーブにとってコンプレックスの元兇だったとか)。
壁から突然手が延びてキャロルの乳房を掴むシーンなど、ショッカー的演出もあるにはあるが、カメラは長廻しとクローズアップを主体に、ギミックに頼ることなく、狂気に蝕まれていく過程を冷徹に暴きだしている。
干乾びていく兎肉、時計の秒針が刻む音、何気ないオブジェクトにもポランスキーは敏感に反応して、恐怖を肥大化させていく。それは演出家としての技量云々ではない。彼には恐らく、彼女に同調できるだけの心理的下地があるのだ。
異性とは彼女にとっての「外部」であり、畏怖すべき対象として認知されるべきものである(彼女が女性スタッフしかいない美容室で働いていることに注意)。彼女の「外部」への恐怖と「内部」への安住が、深層心理下でポランスキーとシンクロした瞬間、この映画は作品として完璧に、美しく“閉じられる”。
そしてバービー人形のように「生気」を感じさせないカトリーヌ・ドヌーブも、倒錯したエロティシズムを発露するのである。
- 原題/Repulsion
- 製作年/1964年
- 製作国/イギリス
- 上映時間/105分
- 監督/ロマン・ポランスキー
- 脚本/ロマン・ポランスキー
- 製作/ジーン・グトウスキー
- 脚本/ジェラール・ブラッシュ
- 撮影/ギルバート・テイラー
- 音楽/チコ・ハミルトン
- カトリーヌ・ドヌーブ
- イボンヌ・フルノー
- ジョン・フレーザー
- イアン・ヘンドリー
- パトリック・ワイマーク
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