『HANA-BI』(1998年/北野武)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『HANA-BI』(1998年)は、北野武監督の第7作目にして、第54回ヴェネツィア国際映画祭で日本映画として40年ぶりとなる最高賞「金獅子賞」を受賞した傑作。不治の病に倒れた妻(岸本加世子)に寄り添うため、そして下半身不随となった同僚(大杉漣)や殉職した部下の遺族を救うためにヤクザから借金を重ねていく元刑事・西(ビートたけし)。彼のあまりにも純粋で哀しい逃避行を、キタノブルーと称される極限の映像美と突発的なバイオレンスで描き出す。
バイク事故がブチ壊した、ロマンチシズムの大氾濫
北野武が、1994年にあの凄惨なバイク事故を起こすまでに撮り上げた初期四部作──『その男、凶暴につき』(1989年)、『3-4×10月』(1990年)、『あの夏、いちばん静かな海。』(1991年)、『ソナチネ』(1993年)。これらは徹頭徹尾、北野武という男の照れに支配された、極限のソリッド・ムービーだった。
照れゆえにセリフは極端なまでに削ぎ落とされ、照れゆえにカメラはスタティックに均一化され、照れゆえに物語は性急なほど死の匂いに執着する。
作品は徹底的に不純物を濾過され、暴力は息を呑むような様式美へと昇華されていた。第一期キタノ映画は、この異常なまでのミニマリズムの緊張感によって、映画史における絶対的な強度を勝ち得ていたのだ。
だが、生死の境を彷徨うバイク事故を経て、物理的にも精神的にも死を身をもって体感した北野は、映画作りを「己の生と正対する行為」として再認識せざるを得なくなる。
もはや斜に構えている場合ではない。照れを完全に脱ぎ捨て、自らのドロドロとした内面をスクリーンにブチ撒けることこそが、映画作家としての宿命であると悟ったのだ。
復帰作『キッズ・リターン』(1996年)でヒリヒリするような生きる痛みを語った彼は、続く本作『HANA-BI』(1997年)において、ついに抑圧されていたロマンチシズムのダムを決壊させる。
『HANA-BI』には、むせ返るほどウェットな情感が満ち溢れている。久石譲による甘美な劇伴が饒舌に鳴り響き、不治の病に冒された妻(岸本加世子)との言葉少ななやりとりは、観ているこちらが気恥ずかしくなるほどのホームドラマ的な温もりに満ちている。挙句の果てには、愛娘が海辺で凧を揚げる光景で物語が閉じられるのだ。
これを大文字のロマンチシズムと呼ばずして何と呼ぼう。下半身不随となった同僚の堀部(大杉漣)が生きる意味を見出す美しい点描画を、リハビリ中の北野自身が手ずから描いているという事実そのものが、彼が照れの壁を完全にブチ破って制作に臨んだ最強の証左である。
冷徹なモダニズムを喰い破る熱き浪花節
大胆なカットの省略や、破滅へと一直線に突き進む男女の逃避行という、ロードムービー的モチーフ。
一見すると『HANA-BI』のフォーマットは、ジャン=リュック・ゴダールの歴史的傑作『気狂いピエロ』(1965年)に驚くほど近い。形式的には、唐突なジャンプカットや、死を予感させるプロット構造を明確に踏襲していると言っていいだろう。
だが、両者には決定的に、そして致命的に異なる部分がある。情感のあり方だ。ゴダールが冷徹なモダニストとして感情を徹底的に突き放し、記号化された映像のコラージュとして映画という形式を解体しようとしたのに対し、北野武の根底に流れている血は、あくまでコテコテの浪花節。
彼の映画には、形式の冷徹さをクールに装いながらも、義理人情に涙し、身内を徹底的に庇う日本的メンタリティが骨の髄まで深く刻み込まれている。
『気狂いピエロ』において、死はどこまでも観念的であり、モダニズムの果てに訪れる記号としての終末だった。対して『HANA-BI』における死は、愛する妻を守り、仲間の無念を晴らすために自ら選び取る、義理と人情の果ての究極の自己犠牲。
つまり、ゴダールにとっての死が“映画的実験の到達点”であるならば、北野にとっての死は“人間的感情の極み”として重々しく位置づけられているのだ。
『HANA-BI』に溢れるロマンチシズムは、ゴダールの計算されたモダニズムとは真逆の、極めて人間臭いベクトルを示している。だからこそ本作は、お高くとまった実験映画などではなく、浪花節的な情感に支えられた“生身の魂の物語”として、世界中の観客の胸を激しく打ったのだろう。
初期キタノ映画の純度への哀歌
『HANA-BI』は、第54回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)を受賞し、フランスの権威ある映画誌カイエ・デュ・シネマが大々的な特集を組むなど、北野武を一躍「世界のキタノ」へと押し上げた。
だがこの国際的成功は、同時に名声の肥大化という残酷な副作用を彼にもたらす。以後の北野は、フェデリコ・フェリーニのように自己神話化された大作家として振る舞わざるを得なくなり、作品世界もまた、自己言及的でメタ的な傾向を強めていく。この映画の圧倒的な評価は、彼に「世界のキタノ」という巨大なペルソナを演じさせる宿命を課したのだ。
その作風の変化は、続く『菊次郎の夏』(1999年)において決定的なものとなる。病妻や仲間の死を描いた『HANA-BI』のウェットな情感は、今度は親子愛や子供の視線へと完全にシフトし、その叙情性をさらに強烈にブーストさせていく。
しかし、初期の研ぎ澄まされたミニマリズムをこよなく愛する僕にとって、この変化は必ずしも手放しで歓迎できるものではなかった。『その男、凶暴につき』から『ソナチネ』に至るまでの初期作品が放っていたのは、純粋映画としての絶対的な強度。
セリフを極限まで削ぎ、感情を抑圧し、暴力すら様式化した、あのヒリヒリするような美学は、ロマンチシズムの濁流とともに確実に希薄化していった。
つまり、『HANA-BI』によって「世界のキタノ」が誕生したことは日本映画史における快挙であると同時に、初期キタノ映画が持っていた純度を永遠に手放してしまった瞬間でもあったのだ。
死の影を漂わせたソリッドな初期四部作から、血の通った浪花節的ロマンチシズムへ。その巨大な転換点に立つ『HANA-BI』は、彼を世界的作家へと押し上げた記念碑であると同時に、複雑でアンビバレントな感情を抱き続けさせる一本なのである。
- 監督/北野武
- 脚本/北野武
- 製作/森昌行、鍋島寿夫、吉田多喜男
- 制作会社/バンダイビジュアル、テレビ東京、TOKYO FM、オフィス北野
- 撮影/山本英夫
- 音楽/久石譲
- 編集/北野武、太田義則
- 美術/磯田典宏
- 衣装/斉藤昌美
- キッズ・リターン(1996年/日本)
- HANA-BI(1998年/日本)
- Dolls ドールズ(2002年/日本)
- 座頭市(2003年/日本)
- TAKESHIS'(2005年/日本)
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