バイク事故によって生死の境を彷徨った北野武が、顔面麻痺の状態で復帰会見した時は、正直見ていて辛かった。
コメディアンにとって最も屈辱なのは、同情されてしまうこと。彼がどんなギャグを放ったところで、顔面に痙攣が走るたび、オーディエンスは笑いに急ブレーキをかけてしまう。
自らの身障をも笑いのネタにしたい彼にとって、これはかなりキビシイ事態であったはずだ。同情するなら笑いをくれ!!北野武はお笑い芸人として、あまりにも大きな十字架を背負ってしまったんである。
復帰第一作として撮られた『キッズ・リターン』は、そんな忌まわしき己の十字架と正対した作品とも言えるだろう。
それまで虚無感の向う側に“死”を匂わせてきたキタノ映画は、眼を覆いたくなるような暴力描写による「皮膚感覚としての痛み」を放棄し、「生きることそのものに対する痛み」、「青春そのものに対する痛み」を語り始めた。まるで己の心象風景をなぞるかのように。
二流高校の落ちこぼれであるシンジは、ボクサーとしての天才を認められてジムに通い出し、輪をかけて落ちこぼれのマサルは、ヤクザとしての道を歩み出す。しかしストーリーは爽やかな青春グラフティーには成り得ない。
ドライな視点で描かれた二人の末路は、挫折・焦燥・失望に満ちている。「いい人キャラ」の代表格ともいうべき森本レオ演じる教師にすら、彼等は負け犬呼ばわりされてしまう。出来損ないの負け犬の物語は、その一瞬一瞬がドラマとして凝固するのだ。
しかし、北野武の視点はドライではあるけれども冷徹ではない。一途で不器用な少年たちを、一定の距離を置きながらも温かく包み込む。
『3-4×10月』で、最後まで無表情な主人公を演じた柳ユーレイは、「己の生きる意味」を問う為にトラックで爆死した。『ソナチネ』では、たけしが笑顔でこめかみに拳銃を向けた。
だが、シンジとマサルは“死”というお手軽なリセットボタンを押すことはない。心無い大人たちの踏み台となって前途をボロボロにされても、彼等は死なない。生きることで己の意味を問い続ける。
「俺たち、もう終わっちゃったのかなあ」
「馬鹿野郎、まだ始まってもいねえよ」
そうだ、終わってはいない。“希望”という言葉はまだ枯れてはいない。二人の乗る自転車と共に、久石譲のサウンドは死ではなく生へ向かって力強く疾走する。
- 製作年/1996年
- 製作国/日本
- 上映時間/108分
- 監督/北野武
- 脚本/北野武
- プロデューサー/森昌行、柘植靖司、吉田多喜男
- 美術/磯田典宏
- 音楽/久石譲
- 撮影/柳島克巳
- 編集/北野武
- 録音/堀内戦治
- 助監督/清水浩
- 照明/高屋齋
- 金子賢
- 安藤政信
- 森本レオ
- 石橋凌
- 森本レオ
- 山谷初男
- 下絛正巳
- 大家由祐子
- 寺島進
- モロ師岡
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