古き良きキネマ愛好家に向けて送られた、ジュゼッペ・トルナトーレからのラブレター
本国イタリアの評価はよく知らないが、少なくとも日本における『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989年)の人気沸騰ぶりは、凄まじかった。
さしてキャパの広くないシネスイッチ銀座でこの映画がかかるや、押すな押すなの大騒ぎ。40週という超ロングランを記録し、およそ27万人を動員。ミニシアターという言葉が一般に流通したのも、この映画の記録的ヒットに起因していることは間違いない。
これは映画愛についての映画である。映画を現代思想やサブカルチャーと絡めて語るシネフィル層ではなく、古き良きキネマ愛好家に向けて送られたラブレターだ。
だが、当時僕が『ニュー・シネマ・パラダイス』を観て思ったのは、とにかく「ズルい」という一言だった(現在観てもその感想は変わらないが)。何がズルいって、あのラストシーンがズルい。はっきり言って禁じ手。
古今東西の名画のキスシーンを繋ぎ合わせれば、どんな不感症の御仁でもハートを揺り動かされるだろう。不謹慎を承知で言えば、コレって映画史を簒奪する行為に等しいのではないか。
しかし当時弱冠29歳だったジュゼッペ・トルナトーレは、何の屈託もなく、それこそトト少年のように純朴な映画愛で、このラストシーンを着想してしまったに相違ない。
エンニオ・モリコーネの郷愁を誘う音楽、トト少年を演じるサルヴァトーレ・カシオくんの突き抜けたかのような笑顔で、なんとなく感動させられた気になってしまうが、映画的には決して巧くない。
脇役たちは有機的にドラマに寄与しないし、父親不在という設定もあまり活かされていないし、目を見張るようなショットも存在しない。にも関わらず、『ニュー・シネマ・パラダイス』には画面の隅々に感じられる映画愛によって、唯一無二の作品に成り得ている。純粋無垢な”想い”が、演出や技術を上回っているのだ。
僕は今でも『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストシーンを観ると条件反射的に号泣してしまう。前後関係などお構いなく、まるでパブロフの犬みたいに、機械的に涙がこぼれ落ちてしまうのだ。何だか詐欺にあったみたいで、あまり気持ちのいい涙ではない。素直に「好き」と公言できる作品でもない。
だが僕は、定期的にこの映画を見返したくなる。それは自分が映画を愛していることを再確認する行為なのだろう。ジュゼッペ・トルナトーレ自身がそうであるように。
- 原題/Nuovo Cinema Paradiso
- 製作年/1989年
- 製作国/イタリア、フランス
- 上映時間/155分
- 監督/ジュゼッペ・トルナトーレ
- 製作/フランコ・クリスタルディ
- 製作総指揮/ミーノ・バルベラ
- 脚本/ジュゼッペ・トルナトーレ
- 撮影/ブラスコ・ジュラート
- 編集/マリオ・モッラ
- 美術/アンドレア・クリザンティ
- 音楽/エンニオ・モリコーネ
- フィリップ・ノワレ
- ジャック・ペラン
- サルヴァトーレ・カシオ
- マルコ・レオナルディ
- アニェーゼ・ナーノ
- プペラ・マッジオ
- レオポルド・トリエステ
- アントネラ・アッティーリ
- エンツォ・カナヴァレ
- イサ・ダニエリ
- レオ・グロッタ
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