失語症、セックス恐怖症、自殺願望症。
それぞれにトラウマを抱えた3人の女優たちが、映画のクランクインを直前に控えて発生するあれやこれやな出来事を、単純なオムニバスとも言い切れない複雑な説話法のなかで綴っていく。
『告白的女優論』は、大女優・岡田茉莉子を実生活で妻に持つ吉田喜重が、映画というメディアで展開する「女優論」である。…と書くと、いかにもメタ映画的な構造を有しているように思えるが、全然そんなことはないです。
もしメタに自覚的であるなら、もっと観客を意識した物語構造を企てると思うんだが(観客に向かって話しかけるとか、女優たちが現実の自分をさらけ出すとか)、あくまで映画というフィクショナルな境界に留まり、時制と虚実を自由に泳ぎつつ、いかにもモダニスト吉田喜重らしい端正な映像で女優論を語りかける。
浅丘ルリ子は異常に凹凸のないパキパキした身体を、太地喜和子は豊満かつダイナミックなバディーを惜しげもなくさらけ出しているし、有馬稲子は全然萌えないレオタード姿をご披露。女優論を語るうえで、肉体性もまたこの映画の重要なモチーフらしい。
まあよく考えれば女優なる生き物は、自らの肉体を媒介にして新しい物語と接続し、自意識を解放して無の境地に至ることにより、現実と虚構を行き来する希有な存在な訳であるからして、まあ当然の帰結なのかも。
だが女優が女優であらんとするには、不可避的に自己の存在に対する問いかけが顕在化する。三人の女優たちは皆、異口同音に「私って何者なの?」という問いを夢のなかに、セックスのなかに、死のなかに求めようとする。
しかしながら虚実入り乱れる空間のなかで、その問いかけはこだまのようにエコーし、虚空に吸い込まれて行く。『告白的女優論』は、「女優とは何ぞや」という問いかけそのものである。
とりあえず僕のような平凡サラリーマンには、「女優と付き合うとめちゃくちゃ疲れそうだなー」という感想しかありませんが。
- 製作年/1971年
- 製作国/日本
- 上映時間/124分
- 監督/吉田喜重
- 製作/吉田喜重、岡村精、勝亦純也、磯田啓二
- 脚本/吉田喜重、山田正弘
- 撮影/長谷川元吉
- 美術/朝倉摂
- 音楽/一柳慧
- 衣装/森英恵、中林洋子、松田光弘
- 浅丘ルリ子
- 岡田茉莉子
- 有馬稲子
- 木村功
- 三國連太郎
- 月丘夢路
- 原田芳雄
- 赤座美代子
- 稲野和子
- 草野大悟
- 峰岸隆之介
- 川津祐介
- 太地喜和子
- 菅貫太郎
- 細川俊之
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