『うなぎ』──去勢された男のユートピア
『うなぎ』(1997年)は、第50回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した今村昌平の後期代表作。妻を殺害した男・山下が刑期を終え、千葉県佐倉市で理髪店を開業する。社会と距離を置き、他者との関係を拒む彼は、唯一の理解者である“うなぎ”とだけ心を通わせる。過去を背負いながらも、彼は新たな人生を歩み出そうとする。
カンヌの奇跡と今村昌平の帰還
今村昌平の後期代表作にして、第50回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した『うなぎ』(1997年)。だが、栄冠の裏側にあったのは、予想外の静けさだった。
製作段階での期待値は低く、関係者すら受賞を信じていなかったという。今村自身も結果発表を待たずに帰国してしまい、現場に残されたのは作品だけだった。
だからこそ、この映画が現地で高く評価され、審査員たちの心を静かに掴んでいったことは、奇跡的な逆転劇といえる。まさに「うなぎ上り」の快進撃(俺、うまいこと言ったった!)。
だが、それは偶然ではない。社会の底辺を見つめ続けた老監督が、血と泥にまみれた人間の根源的な生への回帰を描いたからこそ、世界は再び彼を見出したのだ。
「うなぎ」という生のメタファー
物語の中心にいるのは、妻の不貞を目撃して殺人を犯した男・山下(役所広司)。彼は八年の服役を終えて仮出所し、かつての小学校教師のもとで理髪店を開業する。
殺した妻を除けば、山下には血縁も家族も存在しない。家族の不在は、彼の欠落そのものだ。社会的にも生物学的にも、彼は「父になる権利」を剥奪された存在であり、その不全が全編を支配している。彼は他者と関係を結ぶことに怯え、共同体の中で浮遊し続ける。
今村昌平はここで、家族という単位の崩壊を“去勢”のメタファーとして描いている。セックスを通じて生を再生できない男。血を分けることができない男。
山下の存在は、ポスト戦後の日本社会における男性性の喪失を体現している。彼の沈黙、頑なな孤独は、まるで生殖機能を停止した社会そのものの姿である。
山下が唯一心を開くのは、彼のペットである“うなぎ”だ。この粘膜質の生き物は、彼にとっての対話者であり、代替的な自我であると同時に、男性性そのものの象徴でもある。
殺人を犯すきっかけとなった言葉──「お前のセックスは幼稚園児並だ!」──が示すように、彼は性的能力の欠如を抱えた男。つまり“うなぎ”とは、去勢された彼がなお手放せない残滓、もしくは失われた勃起の幻影なのだ。
だが同時に、それは生命の持つ再生力でもある。地を這い、川を遡り、海へ戻るうなぎの生態は、山下の再生譚そのものと重なる。抑圧された性の象徴であると同時に、原始的な生の循環を象徴する存在。
これは、今村昌平が“男の原罪”を一匹の生き物に投影した、極めて寓意的な構図なのだ。
性と再生──去勢された男の救済
清水美砂演じる桂子の登場によって、山下の物語はわずかに動き出す。彼女は過去に自殺未遂を起こし、他者との関係を恐れる点で、山下と同質の傷を抱えている。
だが、彼女は生を諦めてはいない。むしろ、生きることにしがみついている。山下は彼女の求愛を拒み続けるが、桂子が他の男──堂島(田口トモロヲ)──の子を身ごもるとき、彼は初めて「父親になる」決意をする。それは、性的関係を介さずに“家族”を得るという逆説的な救済である。
去勢された男が、去勢のままに家族を形成する。彼の台詞、「俺もようやくお前と同じになった。どこの誰だか分からん男の子供を育てるんだ」は、単なる自己犠牲の言葉ではない。血によらぬ愛、肉体によらぬ再生への賛歌だ。
ここで今村は、性愛の果てにある“非性愛的な愛”という倫理の地平を提示している。山下の笑顔は、性の終焉を超えた人間的成熟の証である。
『うなぎ』が他の今村作品と異なるのは、そこに「絶対的悪」が存在しないことだ。舞台となる千葉県佐倉市には、暴力も憎悪もあるが、それらはすべて“人間的誤差”として許容されている。理髪店で起こる小競り合いや殺傷騒ぎすら、どこか牧歌的な可笑しみを帯びている。
この町には、悪人はいない。いるのは、少し変わっている人間たちと、少しだけ優しい人間たち。ここに今村昌平が晩年に辿り着いた理想郷がある。血の穢れや社会の不条理を撮り続けてきた監督が、最晩年に描いたのは“ゆるやかな救済”の風景だった。
ドタバタ喜劇のように見えるその世界には、倫理の対立も宗教の断絶もなく、ただ人が人を受け入れるという、原初的な共同体の姿がある。ここで今村は、現代社会が失った“他者を受け入れる能力”をもう一度蘇らせているのだ。
老監督の最終回答
『うなぎ』は、人間の生の泥臭さを愛おしむように描く一方で、今村自身の映画観の総括でもある。『にっぽん昆虫記』、『楢山節考』、『黒い雨』を経て、彼が最後に辿り着いたのは、人間を断罪する映画ではなく、人間を赦す映画だった。
殺人者であっても、生きていていい。去勢された男でも、家族を持っていい。性も暴力も、すべては生の連続体にすぎない。つまり、『うなぎ』とは、映画という“暴力の装置”によって人間を破壊してきた今村昌平が、自らの手でその傷を癒そうとした作品である。
彼が帰国してしまった後、カンヌで静かにパルム・ドールが発表されたとき、世界は一人の映画作家の“贖罪”を見届けたのかもしれない。スクリーンの中で泳ぐ一匹のうなぎ。その粘り強く、しなやかな動きこそ、今村昌平という映画作家の最終回答なのだ。
- 製作年/1997年
- 製作国/日本
- 上映時間/117分
- 監督/今村昌平
- 製作/奥山和由
- プロデューサー/飯野久
- 企画/須崎一夫、成澤章、中川好久
- 原作/吉村昭
- 脚色/冨川元文、天願大介、今村昌平
- 撮影/小松原茂
- 美術/稲垣尚夫
- 編集/岡安肇
- 音楽/池辺晋一郎
- 役所広司
- 清水美砂
- 柄本明
- 田口トモロヲ
- 常田富士男
- 倍賞美津子
- 市原悦子
- 佐藤允
- 哀川翔
- 河原さぶ
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