かつてアルバート・アインシュタイン先生は、
存在するものの秩序ある調和の中に自らを現す、スピノザの神を私は信ずる。人間の運命や行動に関わるような、人格のある神は信じない
とおっしゃられている。
これだけでは何のことやらサッパリだが、要は17世紀のオランダの哲学者バールーフ・デ・スピノザによる「神即自然」という思想(一種の無神論)に共感する、という意味である。「科学的探究と宗教的信仰は相容れないものなのじゃ」という宣言と受け止めて良ろしかろう。
しかし、その情勢は少しずつ変わりつつある。最新の科学はもはや、「時間とは相対的なものである」といった理論を遥かに飛び越えて、より根源的な問いに直面している。
すなわち、「我々はどこから来たのか?」とか、「宇宙はどのように誕生したのか?」とか、「神は存在するのか?」とか、極めて哲学的な問いに直面せざるを得ないフェーズに突入しているのだ。
カトリック総本山のバチカンは年に1回、超一流の科学者を呼び寄せて最新の科学の動向を探っているらしいが、それぞれのアプローチは違えど、この場において科学と宗教が追い求めるものはひとつである。
水と油の関係から脱却したとは言わないまでも、「科学」と「宗教」の間にはある種の協力関係が築かれつつあるのだ。
『コンタクト』は、地球外生命体との接触を、まさに「科学」「宗教」という両軸から描いた作品。言い換えれば、「神」という存在定義を両極の角度から捉えた映画だ。
ジョディ・フォスター演じる合理的精神の科学者と、マシュー・マコノヒー演じる敬虔深い宗教学者、さらには「政治」を司る大統領補佐官のアンジェラ・バセット、国防長官のジェームズ・ウッズといった面々が絡んで、ドラマを重層化・立体化させている。
地球外生命体との接触を描いた映画といえば、何といっても巨匠スタンリー・キューブリックによる古典的傑作『2001年宇宙の旅』(1968年)だが、神様目線の絶対俯瞰によって描かれた物語は難解を極め、観客の脳内に多くのクエスチョン・マークを点滅させる結果を招いた。
しかしこの『コンタクト』は、その視座をぐっと人間のアイ・レベルまで下げて、なおかつ多方向から光を当てている。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズや、『フォレスト・ガンプ』などの娯楽作品をリリースし続けてきたロバート・ゼメキスの極めて緻密な計算により、ややもすれば形而上学的で難解な作品になりそうな本作を、エンターテインメントという枠組みから外さないことに成功しているのだ。
第三種接近遭遇を周囲に信じてもらえなかったジョディ・フォスターに対し、マシュー・マコノヒーは「僕は彼女を信じます」と力強く宣言する。つまり「科学」と「宗教」の融和が端的に示されている訳だ。
それってテーマ的にものすごくラディカルだと思うのだが、それをオーソドックスな手法でまとめあげるっていうのは、やっぱり玄人技なんだと思う。
ロバート・ゼメキス、恐るべし。
- 原題/Contact
- 製作年/1997年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/153分
- 監督/ロバート・ゼメキス
- 製作/ロバート・ゼメキス、スティーヴ・スターキー
- 原作/カール・セーガン
- 原案/カール・セーガン、アン・ドルヤン
- 脚本/ジェームズ・V・ハート、マイケル・ゴールドバーグ
- 撮影/ドン・バージェス
- 音楽/アラン・シルヴェストリ
- 美術/エド・バリュー
- 編集/アーサー・シュミット
- 衣装/ジョアンナ・ジョンストン
- 編集/スティーヴン・ミリオン
- ジョディ・フォスター
- マシュー・マコノヒー
- ジョン・ハート
- ジェームズ・ウッズ
- トム・スケリット
- デヴィッド・モース
- ウィリアム・フィクナー
- ロブ・ロウ
- アンジェラ・バセット
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