イノセンスを武器にアメリカン・ドリームを体現する、映画好き青年のドキュメンタリー・ムービー
憧れの映画業界には身を置いているものの、金なし・仕事なし・コネなし・おまけに彼女なし(ただし体毛は濃い目)で、哀しきオーディナリー・ライフを送っているブライアン君。
そんな彼がクイズ番組に出演し、見事賞金1100ドルを獲得。たまたま最後のクイズの答えが憧れの「ドリュー・バリモア」だったことから、勝手に運命を感じてしまい、ドリューとのデートにチャレンジするという無謀な計画を実行!
しかもタイムリミットは、ビデオカメラが無料で借りられる30日間以内…。そんな一部始終をおさめたドキュメンタリー・ムービーが、この『デート・ウィズ・ドリュー』(2005年)である。
ブライアン君にとっておそらく「ドリューとデートするという」行為は、自分が次なるステップへ跳躍するための通過儀礼なのだろうが、こんな馬鹿げた行為に無垢な情熱を抱けるということ自体に、アメリカ映画の強さ、ひいてはアメリカという国家の強さを感じてしまう。
ブライアン君に企画を相談された知り合いの映画監督が、そのあまりの下らなさに「アメリカ人の総白痴化、極まれりだ!」と一喝するシーンがあるが、僕に言わせれば「知的に成熟していないからこそ、こんな企画が立ち上げられる」のであり、だからこそ「アメリカは強い」のである。
“キング・オブ・ハリウッド”スティーヴン・スピルバーグを敬愛し、大好きな映画『グーニーズ』を子供のように目を輝かせながら嬉々と語るブライアン君は、今や跡形もなく消失してしまった(と思われている)アメリカのイノセンスの象徴だ。まあそもそも、今どきコリー・フェルドマンに会って感激する奴が希少人種なんですけれども。
イノセンスとは絶対の正義であり、絶対の良心。だからこそアメリカ人観客は皆、ブライアン君にエールを送り、ブライアン君のドリーム・カムズ・トゥルーを願い、ブライアン君自身に同化する。おそらく、その願いが100%叶われることを本能的に察知しながら。
まあ何が良いって、アコガレの対象がドリュー・バリモアってのがいいじゃないですか。7歳の時に『E.T.』(1982年)に出演して、その愛らしさで一躍子役スターとしての地位を築いたものの、9歳で喫煙、10歳でマリファナ、12歳でコカインと、ライク・ア・ローリングストーンな転落ぶり。
その後映画界にカムバックするものの、単なる脱ぎ女優としての役しか回ってこないという辛酸をなめ尽くす。
アリシア・シルバーストーンのごとく銀幕界から去るものと思いきや、いつしかラブコメの女王として華麗なる復活を遂げ、プロデューサーとして映画製作にも携わった『チャーリーズ・エンジェル』(2000年)も大ヒット。
とまあ、これだけでも充分映画の素材として使えそうな経歴の持ち主である。ブライアン君のお母さんに「あの娘はアバズレだ!」と一刀両断されちゃうのも分かります。
ここで重要なのは、それでもブライアン君は「10歳の頃からドリューのファンであり続けていた」ということだ。
麻薬に溺れた時も、セクシー系女優としてB級映画に出演していた不遇の時も、彼は決してドリューを見捨てたりはしなかった。この事実こそが、ブライアン君のイノセンスを保証する揺るぎない証左となり、映画の強度を支える柱となる。
まるで『フォレスト・ガンプ』(1994年)のごとく、イノセンスを武器にアメリカン・ドリームを体現するブライアン君に対し、人々は惜しみない拍手を送るだろう。『デート・ウィズ・ドリュー』はあらゆる意味で、極めてアメリカ的な映画である。
いや、正確に言うなら「かつて正しいとされていたアメリカという姿を、愚直なまでにイノセンスとして結晶せしめた映画」と言うべきだろうか。
ここにはどこかアーリー’80sな、古き良き香りがある。その懐かしさに惹かれて、今日もアメリカ人達はブライアン君に拍手を送り続けるのだ。
- 原題/Date With Drew
- 製作年/2005年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/90分
- 監督/ブライアン・ハーズリンガー、ジョン・ガン、 ブレット・ウィン
- 製作/ブライアン・ハーズリンガー、ジョン・ガン、 ブレット・ウィン
- 編集/ブライアン・ハーズリンガー、ジョン・ガン、 ブレット・ウィン
- ブライアン・ハーズリンガー
- ドリュー・バリモア
- エリック・ロバーツ
- コリー・フェルドマン
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