人間よりも恐竜にシンパシーを感じて作られた“捨て子”の物語
“捨て子”は、スピルバーグのフィルモグラフィーで一貫して扱われているテーマだ。
『未知との遭遇』(1977年)のバリーや、『E.T.』(1982年)のエリオットは父親不在の核家族で育っているし、『太陽の帝国』(1987年)のジェイミーは上海で両親と離ればなれになってしまう。『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002年)のフランクは天涯孤独の身だし、我らがインディ・ジョーンズも父親とケンカをして家を飛び出した過去がある。
電気技師の父親とピアニストの母親の元で育ったスピルバーグ自身、幼い頃に両親の離婚を経験している。おそらく“捨て子”は、彼の奥底に沈殿している潜在的命題なのだろう。
『ジュラシック・パーク』(1993年)で、恐竜たちが我がもの顔で大地を駈け回る脅威のCG技術を世界中に見せつけた彼は、続編である『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』においても、“捨て子”というテーマを導入している。人間ではなく、Tレックスに。
要はこの映画、子供をかっさらった人間たちに親Tレックスが復讐を果たすというお話。ジェフ・ゴールドブラムをはじめとする主要人物たちが、仲間の死には無関心なくせに、何故かTレックスの子供には細心の注意を払っているのは、「捨て子」というスピルバーグの最重要テーマが恐竜に託されているからだ。
故に、Tレックスが人間を何人踏みつけようと、何人胃袋におさめようと、はたまたサンディエゴの街で暴れまくろうとも、彼らは決して人間に蹂躙されない。エンパイア・ステート・ビルの頂上で絶命したキング・コングの二の舞にはならない。
タイトルに『ロスト・ワールド』と冠されていることでも明らかなように、全体のモチーフはアーサー・コナン・ドイルの傑作SF小説『失われた世界(The Lost World)』。
テーマパークで巻き起こる箱庭的物語だった前作とは異なり、野性化した恐竜たちが徘徊するイスナ・ソルナ島を舞台にしているだけあって、スケール感は数段アップしている。
にもかかわらず、人間よりも恐竜にシンパシーを感じながら作られたであろう本作は、スリラーとしての切れ味が致命的に欠落している。スピルバーグ自身、製作中にこの映画に嫌気がさしたことを告白しているくらいだ。
ゴールデンラズベリー賞でも、「最低続編賞」、「最低脚本賞」、「最低人命軽視と公共物破壊しまくり作品賞」の3部門にノミネート。『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』は、サスペンスの醸成よりも“捨て子”というテーマに固執してしまったために、スピルバーグ作品の中で失敗作と位置付けられてしまったのだ。
だが黒沢清は、スピルバーグ映画ベストにこの『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』を挙げている。バランスをひどく欠いてしまったこの映画に、えも言われぬ“映像的吸引力”があることも、また確かなことだ。
そう、本作はいびつな細部に目を凝らし、愛でるべき作品なのである。
- 原題/The Lost World: Jurassic Park
- 製作年/1997年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/129分
- 監督/スティーヴン・スピルバーグ
- 製作総指揮/キャスリーン・ケネディ
- 原作/マイケル・クライトン
- 製作/キャスリーン・ケネディ、ジェラルド・R・モーレン
- 脚本/デヴィッド・コープ
- 撮影/ヤヌス・カミンスキー
- 美術/リック・カーター
- 音楽/ジョン・ウィリアムズ
- 編集/マイケル・カーン
- 特殊効果/スタン・ウィンストン
- ジェフ・ゴールドブラム
- ジュリアン・ムーア
- ピート・ポスルスウェイト
- アーリス・ハワード
- リチャード・アッテンボロー
- ヴィンス・ヴォーン
- ヴァネッサ・リー・チェスター
- ピーター・ストーメア
- ハーヴェイ・ジェイソン
- リチャード・シフ
- トーマス・エフ・ダフィ
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