“若気の至り”な感覚がスパークした、ボーイ・ミーツ・ガール・ストーリー
たった二十五日間という、超早撮りで完成させてしまったゴダールの『はなればなれ』は、若気の至りに満ちた映画である。
何だか構成がスカスカだし、フレームずれてるし、明らかにもう1テイク撮り直した方がいいな~というシーンがあるにもかかわらず(あるいはそれゆえかも知れないが)、最高にファンキーでヒップ。1本の作品に2年も3年も費やすキューブリックと比べて、あーだこーだ語ってもしょうがないからそこは割愛するが、未成熟なチープさが魅力だったりするのが、『はなればなれ』なのである。
ヌーベルバーグの女神アンナ・カリーナと、端正な二枚目のサミー・フレイと、粗暴なクロード・ブラッスールのカルテットが織り成すのは、典型的なボーイ・ミーツ・ガール・ストーリー。だからこそ、最高に楽しくて、最高に可笑しくて、最高に悲しい。
蓮實重彦も語っているように、「けちな犯罪者たちのちっぽけな愛の物語が、どうしてこれほどの叙情を画面にゆきわたらせるのかは、三十年たった今も謎」なのである。東大の元総長が分からんと言っているんだから、僕にも分からん。
『勝手にしやがれ』(1959年)や『気狂いピエロ』(1965年)といった作品に比べ、明らかに「小品」といった印象が強いこの映画だが、だからこそゴダールの茶目っ気も炸裂しまくり。
主役三人が沈黙しだすと、まわりの自然音すらミュートされてしまう「音」への実験的アプローチは、自由奔放なゴダールの実験精神の賜物。何てたって、突然三人がカフェで踊り出すマディソン・ダンスが超絶キュートではないか!アンナちゃん、けだるさ加減がグーだね。僕も御一緒させておくれ。
『はなればなれ』は、ゴダールの“若気の至り”な感覚がスパークしているのにちっとも青臭くない。アンナ・カリーナが未成熟な「女性」を芳香させているのに、ガキ臭くないのと同じだ。
まずは思う存分自由な空気を吸い込め!ケチな愛の物語を堪能しろ!ゴダール映画は楽しんだモン勝ちだ。そして、ゴダールのフィルモグラフィーの中でこれほど「楽しさ」に溢れた作品もないのである。…余談だが、良識のある大人はルーブル美術館を走ってはいけません。捕まります。
《トリビア》
クエンティン・タランティーノのプロダクション会社「A Band Apart」は、彼がファンを公言する『はなればなれ』の原題から名付けられたそうな。
- 原題/Bande A Part
- 製作年/1964年
- 製作国/フランス
- 上映時間/96分
- 監督/ジャン・リュック・ゴダール
- 脚本/ジャン・リュック・ゴダール
- 製作/フィリップ・デュサール
- 原作/ドロレス・ヒッチェンズ
- 撮影/ラウール・クタール
- 音楽/ミシェル・ルグラン
- 編集/アニエス・ギュモ
- 録音/アントワーヌ・ボンファンティ、ルネ・ルヴェール
- アンナ・カリーナ
- サミー・フレー
- クロード・ブラッスール
- ルイザ・コルペン
- エルネスト・メンジェル
- シャンタル・ダルジェ
- ジョージ・スタケ
- ダニエル・ジラール
- ミシェル・デラアエ
- ミシェル・セニエ
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